会場風景「9991 ―深淵へのまなざし―」
現在開催中のホラー体験型展覧会「1999展 ―存在しないあの日の記憶―」から派生した企画展「9991 ―深淵へのまなざし―」が、Post-Fakeでスタートした。会期は9月27日まで。ホラーの表現を拓いた「1999展」の試みを継承し、現代アートの視点から表現の可能性を一層掘り下げる。
本展をキュレーションした前田高輔(以下、前田)は、企画の狙いについてこう語る。「『1999展』は独自の世界観でホラーというジャンルの表現の可能性に挑んだ展覧会だと感じましたが、今回の『9991』では、その挑戦を受け継ぎつつ、“無常”や“実在と不在”をテーマに、現代アートの視点からみたホラーの表現を試みました」
さらに、ホラーというジャンルを選んだ理由については、「ホラーはたんに怖がらせるためのものではありません。 人がなぜ“怖い”と感じるのか、その感覚そのものをあぶり出してくれるジャンルです。 じつは曖昧さや認知的不安は、創造や新しい発想の源にもなる。その体験を展示空間の中で味わってほしいと思いました」
現代アートをよりわかりやすく伝えるために、作品解説にも工夫を凝らしている。「現代アートに触れる機会が少ない来場者も多く訪れることを想定して、キャプションやハンドアウトでは作品情報を充実させました。一方で、鑑賞者が自らの感覚で“怖さ”や“不安”を咀嚼できるよう、解釈の余白を意識的に残しています」
今回の展示には、現代アートの第一線で活躍する5人のアーティストが参加。それぞれが「超常現象」や「実在と不在」といったテーマをもとに、実験的な作品を発表している。 「1999展」から続く世界観をさらに広げるかたちで、観客に新たな視点を提示する。
インスタレーション作家・リサーチャーとして活動する久保ガエタンは、黒電話や隕石といったモチーフを用いた作品《世界は音で満たされている》《ミス、ア・シング》を出展。音や振動、超常現象をテーマに、科学と民間信仰の交差点を探る独白的なインスタレーションを展開する。オカルトや不可解な出来事を、恐怖ではなく社会から排除された存在として扱い、鑑賞者に未知と向き合う契機を与える。
コミニケーションのズレをテーマとするインスタレーション作家、中島伽耶子は、小説『黄色い壁紙』をモチーフにした作品《黄色い小さな部屋》と、美術家の田中敦子の作品をオマージュした作品《ベル》を出展。社会的抑圧や関係の不均衡を扱いながら、観客を心理的な不安と対峙させる空間を構成する。展覧会では、フロイトの「不気味なもの」に通じる表現で、日常の中に潜む暴力性や狂気を可視化する作品として紹介される。
写真と物質を媒介に記憶を探る作家、カワニシユウキは、滴下する水で写真が溶け変容していく作品《未題》を発表。写真という記憶装置と、記憶の儚さを対比させることで、物質と非物質のあわいを浮かび上がらせる。変容するイメージはカテゴリーの境界を曖昧にし、鑑賞者の認識を揺さぶる。ホラー的な“不定形”の表現を通じて、存在や記憶の不確かさを体感させる。
映像とデジタル技術を駆使するインスタレーション作家、柴田まおは、クロマキー合成を用いた《Blue house-01》《Blue Plantings》を出展。観客が作品空間に入り込むことで、現実と映像が交錯する体験を生み出す。パンデミック以降の社会で揺らいだ存在感や、現実と非現実の曖昧さをテーマに、鑑賞者に身体感覚を通して認識の境界を問い直させる。
陶芸と彫刻を横断する表現者、伊勢崎寛太郎は、焼成された大理石が時間とともに崩れていく《風化する土地》や、干上がった池を撮影した《境界》を展示。土地の歴史や時間の経過を物質に刻み込み、自然と人間の不可逆的な関係性を探る。崩れゆく造形は「無常」を象徴し、鑑賞者に生と死の循環を思索させる。
会場では、得体の知れないものへの恐怖や秩序崩壊への欲望といった、ホラー特有のテーマが随所に表現されている。観客は作品を通して、自らの心の奥に潜む不安や好奇心と向き合うことになる。
前田は「現代美術も“見えないものを感じる”ことを大切にしています。ホラーと現代美術は、じつは同じことをしているのかもしれません」と語り、両者の親和性を強調する。
「9991 ―深淵へのまなざし―」は、単なるホラー体験にとどまらない。 アートと恐怖体験が融合した独自の空間で、観客に深い思索と感情の揺さぶりをもたらす。
“怖さ”の先にあるものを探るこの展覧会は、混迷する現代社会を生きる私たちに、新しい視点と問いを投げかけてくれるはずだ。