キャリー・ヤマオカ
森美術館で開催されている「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」(2025年12月3日~3月29日)に出展中のキャリー・ヤマオカ。1957年にニューヨークで生まれ、現在も同地を拠点に活動。日本に暮らしたこともある日系アメリカ人アーティストだ。昨年11月には、京都で開催された「Art Collaboration Kyoto」でも作品が展示され、時期を同じくして曼殊院門跡という寺院を会場に「Inside Out/Outside In」と題する日本で初となる個展も開催した。偶然性を取り入れながら、写真や立体、インスタレーションなど技法を限定することなく制作を続ける彼女に、そのライフヒストリーから表現についてまで話を聞いた。
──曼殊院門跡で開催された「Inside Out/Outside In」はとても美しい展示で、寺の空間と作品との関係が印象的でした。日本文化からの影響なども伺いたいのですが、まずはこれまでのキャリアからお聞きしたいと思います。
キャリー・ヤマオカ(以下、ヤマオカ) 私が生まれたのはニューヨークの郊外です。父は日系2世で、母は日本とアメリカのミックスでした。中流からアッパー・ミドルクラスのエリアで、そこに暮らす有色人種は私たちの家族だけでした。あとはすべて白人。黒人もアジア人もユダヤ人もいませんでした。家族にとって唯一の日系アメリカ人の知り合いが、家具デザイナーのジョージ・ナカシマ一家でした。両親ととても仲が良く、私がアートに触れる最初の機会が、ジョージ・ナカシマさんの創作でした。
──いきなりすごいエピソードです!
ヤマオカ ペンシルベニアのナカシマさんのお宅にはよくお邪魔していました。それと、私の兄は10歳上で彼もアーティストだったのですが、私が7〜8歳の頃からよくニューヨーク近代美術館やメトロポリタン美術館に連れて行ってくれて、クリスマスにはオリンパスの中古レンジファインダーカメラをプレゼントしてくれました。その頃に両親が離婚し、兄と8歳上の姉と私は、母とともにニューヨークに引っ越したのですが、そのすぐ後にポルトガルに旅行に連れて行ってくれたんです。フィルム6本とカメラを持って行き、夢中になって海で波打ち際ばかりを撮影しました。
ニューヨークに帰ってきてドラッグストアで現像に出して、1週間か2週間経って取りに行ったら、たしか150ドル。当時はすごい金額だったんです。そんなお金はないので、母に頼んだら母も金額に驚きながら「いい写真を期待してる」って写真代を出してくれたんですね。それで写真を持ち帰ったら、フィルム6本分のうち8割が波の写真。みんなに笑われて本当に恥ずかしかった(笑)。そのときに写真を見て悟ったのは、カメラは自分が見たままを写真にしてくれるわけではないということ。アーティストとして、とても重要な教訓になりました。
