デヴィッド・ボウイ・センター展示風景 Photo by David Parry, PA Media Assignments
今年の5月31日、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)の分館として、新施設V&Aイースト・ストアハウスが東ロンドンに誕生した。ロンドン五輪2012のメディアセンターを改装した同館は、これまでに類をみない規模の「見せる収蔵庫」で、来館者はガイドなしで現役収蔵庫の内部を1階〜3階まで自由に探索できる。多種多様な時代・地域、形態も様々な資料がところせましと陳列されるそのヴィジュアルは圧巻だ。
そして9月13日、ついに同館の一角に待望のデヴィッド・ボウイ・センターがオープン。V&Aが2013年〜2018年に大成功を収めた展覧会「David Bowie Is」を契機に、このほど正式にデヴィッド・ボウイ・エステートからV&Aに引き継がれた資料がセンターの核となる。
アーカイヴの内容は、ボウイの象徴的なコスチュームやアクセサリーから楽器・音響機器はもちろんのこと、手書きのノート、日記、歌詞、書簡、ファンレターに至るまであらゆる資料を網羅し、その規模はじつに9万点以上にのぼる。目下、目録作成プロジェクトが進行中だ。デヴィッド・ボウイ・センターは定期的な展示替えをしながら、ボウイのレガシーを築くパーマネントな場として未来の世代にその創造性と影響力を継承していくことを目指す。
1〜12の番号が振られたショーケースが並び、オープン記念展では10のテーマに沿って展覧された。印象的なのはテーマごとに分かれていながらも、それらを横断してボウイの先駆性を強調する語りになっている点だ。たとえば「Creative persona(独創的なペルソナ)」では、メイクアップやコスチュームを通じてボウイがジェンダー、セクシュアリティのステレオタイプに挑戦したことを示し、「Futurism(未来主義)」では、SFや新技術への憧憬が、電子楽器の積極的な導入から楽曲のデジタル販売、さらにはライブのストリーミング配信にまでつながり、ボウイがデジタル時代の音楽のあり方をいち早く実験したアーティストだったことを際立たせている。
なかでも注目したいのは、ボウイが温めていた未実現プロジェクトに関する展示だろう。ジョージ・オーウェルの小説『1984』の舞台化構想や、ボウイの楽曲『ダイアモンドの犬』の映画化計画、ボウイ、ブライアン・イーノ、タイ・ロバーツがCD-ROMと映像を伴う大規模なライブショーとして構想した『レオン』を紹介する展示からは、ポピュラーミュージックの枠を超えたボウイの比類ないクリエイティビティが浮かび上がる。
基本的な展示方法は、V&Aイースト・ストアハウスのメインフロアと思想やシステムを同じくしている。たとえば、美術館の舞台裏を積極的に公開することで資料保存への関心を喚起する点(これについては後述する)、テキストの掲出を最小限にとどめ、各資料の詳細情報は QRコードからウェブに誘導する仕組みを採用している点などが挙げられる。
入場して最初に目に留まるのは、ヘッドの一部が欠けた12弦ギターだ。QRコードを通じて情報を確認して初めてこのアコースティックギターが『ジギー・スターダスト』や『レッツ・ダンス』でボウイが実際に使用していた楽器であることが判明する。
ボウイの創作活動を支えたインスピレーションや、ともに音楽を築いたアーティストに焦点を当てる展示も。ジャングルやドラムンベースといった、ブラックミュージックから影響を受けて発展したイギリス生まれの音楽ジャンルを取り入れたアルバム『アウトサイド』や『アースリング』の資料からは、ボウイをイギリスの文化史・音楽史の文脈に位置づけ、より大局的に検証しようとする姿勢が感じられる。
さらに、1995年以降ボウイのバンドを支えたブラックの女性ベーシスト、ゲイル・アン・ドーシーのキャリアとその大きな貢献も紹介されている。
こうしたアプローチからは、同センターがファン向けのメモラビリア展示ではなく、学術的な研究機関を志向していることがうかがえる。
ショーケースが並ぶ展示エリアの向かいには、研究室のようなスペースが広がる。壁面には、管理番号が付された中性紙保管箱がずらりと並び、頭上の衣装レールにはタイベック(透湿性、耐水性、遮熱性など資料保存に優れた不織布)に包まれたコスチュームの数々が吊るされている。だが、これらをその場で自由に引き出すことはできない。
V&A イースト・ストアハウス自体が、IPM(ミュージアムでの虫菌害を予防する日常的な取り組み)や梱包のプロセス説明など保存修復への理解促進をねらった展示を多く取り入れており、上述の展示はその一環であると思われる。つまり、ミュージアムがどのように資料を保存・管理をしているか、その舞台裏を見せる意図があるのだろう。
しかしながら、デヴィッド・ボウイ・センターにおいては、それが教育的に作用しているとは言い難い。むしろ、カフェの内装で見かけるダミーブックのように、実際の資料がインテリアと化してしまっている。目と鼻の先に実物がある環境で、梱包されて中身の見えないコスチュームを見上げ、資料のコピーを閲覧する体験はなんとも切ない。
祝福すべきミュージシャンの新たなアーカイヴセンターの誕生だが、惜しまれるは、デヴィッド・ボウイに馴染みのない人がここを訪れても、「もっと知りたい」「音楽や作品に触れたい」と思わせる場にはなりえていない点だ。これはV&Aイースト・ストアハウス全体に共通する問題でもある。来館者に資料を魅せるための設えこそあるが、あくまで現役の保管倉庫であり、美術館スタッフの仕事場である以上、各資料の魅力や価値を感じ取れるかどうかは来館者の知に大きく依存している。
とりわけボウイ・センターに関していえば、ボウイのレガシーを広く一般に訴求するねらいと学術的な研究拠点として機能させようとする期待とが交錯し、ターゲット層が曖昧になっている点が気になった。
V&Aイースト・ストアハウスは、同施設最大の目玉として「オーダー・アン・オブジェクト」という試みを実施している。これは、誰もが一度に最大5点の資料を請求・予約し、専門スタッフの立ち会いのもとで閲覧できる革新的な仕組みである。無論その対象にはボウイのアーカイヴも含まれる。研究目的ではない利用も大いに歓迎されており、システム上は、すべての人にすべての資料が開かれていることになる。
目録の整備が進み、すべての資料がオンラインで公開されるようになれば、ボウイ研究が世界中のどこでも可能になる日も夢ではない。それと同時にセンターにおいては、「何を展示し、展示しないのか」「誰に向けて展示するのか」という実物を扱うならではのキュレーションの判断が今後ますます重要な意味を持つだろう。
※V&Aイースト・ストアハウスは予約なしで無料で入館できるが、デヴィッド・ボウイ・センターは公式ウェブサイトから時間指定予約(無料)が必須。数週間ごとに決まった期間のチケットが販売される(2025年9月時点)。