公開日:2026年1月16日

【レビュー】毛利悠子「Entanglements」展。不可視なエネルギーの「もつれ」を聴く──偶然性、運動、そして透けるネットワーク(評:島田浩太朗)

イタリア・ミラノのピレリ・ハンガービコッカで開催された毛利悠子の個展「Entanglements(エンタングルメンツ)」をレビュー

会場風景 Courtesy the artist and Pirelli HangarBicocca, Milan Photo:Agostino Osio

毛利悠子、ヨーロッパで大規模個展

イタリア・ミラノのピレリ・ハンガービコッカで開催された毛利悠子による個展「Entanglements(エンタングルメンツ)」(9月18日〜2026年1月11日)は、現時点におけるヨーロッパにおける彼女のキャリア史上最大規模の個展であり、アーティストの芸術実践の全体像を示すものとなる。

会場風景 Courtesy the artist and Pirelli HangarBicocca, Milan Photo:Agostino Osio

同館キュレーターのフィアメッタ・グリチョーリとヴィセンテ・トドリによって企画された本展は、物体、エネルギー、音、そして人々の間に存在する不可視のつながりと複雑な相互作用が主題となる。毛利のサイトスペシフィックなキネティック・サウンド・インスタレーションは、日用品や改造された楽器、電子回路といった既製品を用い、電気、磁力、運動、湿度、重力、熱といった目に見えない環境現象を、視覚的・音響的な効果へと変換する。毛利自身が「空気の彫刻」と表現する本展の展示構成は、手前から奥に行くにつれて、自然光の入る明るい空間から、ほとんど光の入らない暗闇の空間の中で展開される。壁で仕切られることなく、ひとつながりの環境の中に、キャリア初期の作品、水漏れから着想を得た代表作《Moré Moré (Leaky) : Variations》(2018)や腐敗する果実を用いた《Decomposition》(2021〜)など、7つの象徴的な作品群が配置された。

会場風景 Courtesy the artist and Pirelli HangarBicocca, Milan Photo:Agostino Osio

ここでは、この「Entanglements」展を、あるがままの現象とブリコラージュ(ママ)、循環と摩擦の彫刻(キネ)、動的なネットワークの透明性(スケ)という3つの視点から掘り下げることで、現代社会における芸術と生活の複雑な絡み合い(エンタングルメンツ)を考察してみたい。

ひとつ目の視点「ママ(あるがまま)」は、作品の根底にある非構成と、緊急事態におけるブリコラージュへの着目だ。毛利は、自らの作品がジョン・ケージの「音をあるがままにさせる」という意図と共鳴し、「作曲しない(De-composition)」ことを制作におけるひとつのステートメントとする。ピエール・ブーレーズがケージを批判した「不注意による偶然」という言葉を、毛利はむしろ肯定的にとらえ、果実の水分量や腐敗という制御不能なプロセス自体に音を委ねる。また、この「あるがまま」の姿勢は、彼女がマルセル・デュシャンから受けた影響とも深く結びついている。毛利はフィラデルフィア美術館でデュシャンの《大ガラス》や《遺作》の実物を見た際、それが崇高な芸術作品としてではなく、アルミニウムサッシや安価なイルミネーションといった「ありふれた工業製品」の集積であることに衝撃を受けた。この既製品のオーラへの共感は、東京の地下鉄で駅員たちが水漏れに対処するために傘やビニールシートを用いて行う応急処置(ブリコラージュ)への関心と直結する。毛利は、水漏れという緊急事態(エマージェンシー)において、専門家ではない人々が手近な素材で「創造」ではなく「修復」しようとする行為に、人間本来の創造的衝動を見出した。本展における毛利の作品もまた、完成された譜面を奏でるのではなく、環境のノイズやエラーを受け入れ、その場にあるものと交渉(ネゴシエーション)しながら生成される、終わりのない「修復」のプロセスそのものだ。

会場風景より、毛利悠子《Moré Moré (Leaky): Variations (Flow #1, Flow #2, Flow #3)》(2018) Courtesy the artist and Pirelli HangarBicocca, Milan Photo:Agostino Osio
会場風景より、毛利悠子《Piano Solo: Belle-Île》(2024) Courtesy the artist and Pirelli HangarBicocca, Milan Photo:Agostino Osio

ふたつ目の視点「キネ(キネティック)」は、循環するエネルギーや、摩擦と抵抗を可視化・可聴化する装置である。たとえば、《Magnetic Organ》では、アレクサンダー・カルダーのキネティックな作品から着想を得たモビール状のパーツが、磁場という不可視の力によって揺れ動き、カオス理論的な予測不能な動きを生み出す。また、《Moré Moré》において、重力に逆らうかのようにポンプで水を循環させ、空中に浮遊させる構造は、ジャン・ティンゲリーが《Ballet des pauvres》で彫刻を台座から解放した試みを想起させる。さらに、彼女の活動の原点には、秋葉原のジャンクショップで部品を漁り、説明書のない機械をショートさせながら仕組みを学んだDIY精神や、かつて活動したパンクバンドでの「言葉にならないエネルギー」の発露がある。モーターの回転音がピアノの音と同等に扱われるように、彼女の作品において「ノイズ」は排除されるべき雑音ではなく、エネルギーが物質と接触した証(摩擦)として、極めて重要な構成要素となる。

会場風景より、手前が毛利悠子《Magnetic Organ》(2004-) Courtesy the artist and Pirelli HangarBicocca, Milan Photo:Agostino Osio
会場風景より、毛利悠子《You Locked Me Up in a Grave, You Owe Me at Least the Peace of a Grave》(2018) Courtesy the artist and Pirelli HangarBicocca, Milan Photo:Agostino Osio

3つ目の視点「スケ(透け、軽さ、自然と人工的な都市の間に見られる共通性)」は、作品の物理的な軽やかさと、それが示す複雑な動的ネットワークの普遍性に焦点を当てる。《You Locked Me Up in a Grave, You Owe Me at Least the Peace of a Grave》の階段が薄い鉄で作られ動作を伴うと「透けて見える」ことや、観客が感じた「軽さ」は、ステレオタイプ的な巨大なブロンズ彫刻とは異なる存在感を示し、毛利がオブジェクトそのものよりも、周囲の「空気やエネルギーのシェイプ」を作品化しようとする意図を強く反映する。展覧会タイトル「エンタングルメンツ」(もつれ)は、日常に存在するUSBケーブルの絡まりからあらゆる要素の複雑なネットワークを示唆する。毛利は、この複雑系を生態学的な意識のもとで探求しており、たとえば、都市のインフラの「水漏れ」から着想を得た《Moré Moré》は、人為的な構造と自然の力(地下水や重力)との間の交渉を描く。また、腐敗する果実を用いた《Decomposition》は、生と死、循環するエネルギー(回路やコイル)という、自然界における普遍的なサイクルを作品化しており、これは人工的な都市生活においても共通する、万物が相互に影響し合う複雑なネットワークの共通性を提示していると言えるだろう。

会場風景より、毛利悠子《Decomposition》(2021-) Courtesy the artist and Pirelli HangarBicocca, Milan Photo:Agostino Osio