公開日:2025年6月19日

『火垂るの墓』配信と放送で再注目。ジブリと日本の戦後80年を考える【前編】|『 ジブリの戦後』渡邉大輔インタビュー

スタジオジブリは今年設立40年。宮﨑駿、高畑勲、そして後続世代の監督たちへとつながるスタジオの歩みを、「戦後」という枠組みを通して描き出した『ジブリの戦後』の著者に聞く、これからのジブリ論。

『火垂るの墓』 ©︎ 野坂昭如/新潮社, 1988

スタジオジブリの名作アニメーション映画『火垂るの墓』(監督:高畑勲、1988)が、終戦から80年を迎える今年、改めて話題となっている。Netflixでの昨年9月からの海外配信を経て、今年7月15日から日本初の配信が決定。さらに8月15日の「金曜ロードショー」(日本テレビ系、午後9時)で、7年ぶりに地上波で放送されることが決まった。また、東京の麻布台ヒルズ ギャラリーで、「高畑勲展―日本のアニメーションを作った男。」が6月27日から開催される。

スタジオジブリは高畑勲・宮﨑駿両監督の劇場用アニメーション映画を中心に製作してきた、世界的にも極めて稀有なアニメーション・スタジオだ。設立は1985年、『風の谷のナウシカ』(監督:宮﨑駿、1984)の成功を受け、同監督による『天空の城ラピュタ』(1986)製作時に徳間書店が中心となって立ち上げられた。そしてこの1985年というのが、1945年の敗戦から今年までの80年間における中間地点にあたり、「ジブリと日本の戦後は、両者を互いに重ねあわせることで、その歴史の内実への理解がより深まる、そのような関係になっている」と論じるのが、『ジブリの戦後──国民的スタジオの軌跡と想像力』(中央公論新社)の著者、渡邉大輔さんだ。

 高畑・宮﨑というふたりの巨匠の作品に見られる、「平和」や「環境保護」へと向かう思想はこれまで度々注目され、ジブリ作品とともに育った世代にも深く影響を与えてきた。いっぽうで渡邉さんは、令和世代・Z世代の「ジブリ離れ」が始まっているとも指摘する。

戦後80年という節目の年に、スタジオジブリの作品や、その「運動体」としてのあり方が投げかけるものとは。渡邉さんに話を聞いた。【Tokyo Art Beat】

渡邉大輔 『ジブリの戦後ーー国民的スタジオの軌跡と想像力』(中央公論新社)

「戦後日本」というプリズムを通してジブリを見る

 ──スタジオジブリについて、「戦後」という視点から多角的に迫るという本書のテーマはどのように出てきたのでしょうか?

渡邉 もともとは私がこれまでジブリについて書いてきたものを1冊にまとめたいと考えていたのですが、本の全体を貫くコンセプトを出版社側から求められるなかで、今年が戦後80年、ジブリ設立40年だということに気がつきました。また、これまでもすでに「ジブリ」関連の書籍や文献はたくさん出ていますが、「ジブリ」と銘打っていても、実際にはほとんどが「宮﨑駿」に関する内容なんですね。そこで、スタジオジブリというスタジオそのものの全体像を一望するうえで、「戦後80年」というコンセプトは有益だと思いました。

戦後日本の歴史を概観すると、「大きな物語」の完成を体現した前半と、それが解体・変容して、「小さな物語」が分立する「ポストモダン化」した後半とに分けられます。そしてジブリが設立された1980年代半ばは、東西冷戦という「大きな物語」の終結から、大衆消費社会へという「ポストモダン化」に象徴される、移行の分水嶺の時代とほぼ一致します。そして、高畑、宮﨑、また鈴木敏夫プロデューサーといった日本社会が大きなシステムを完成させていった時代を生きた世代と、その子供世代にあたる宮崎吾朗、米林宏昌といった監督たちのあいだには、こうした時代の変化を反映した大きな違いがあります。

日本の「戦後」のひとつの分岐点として一般的に考えられているのが、1970年の大阪万博です。それまでの日本は、戦後復興から高度経済成長へと突き進む「イケイケドンドン」の社会です。しかし、万博と同じ年に起きた三島由紀夫の自決という象徴的な出来事を境にして、日本は大きく変わっていきます。たとえば急速な開発の裏で起きていた公害などの問題が明るみに出るなど、社会が揺らぎ始め、細分化の道をたどります。かつて共通の理想だったものが崩れ、個別的な価値観へと分かれていく。この流れが、いまの社会にまでつながっているのだと思います。

『となりのトトロ』

高畑勲と宮﨑駿はまさに1970年以前に人格形成を終え、作家としての自立を果たした世代です。宮﨑駿は、20世紀の大きな理念であるマルクス主義や左翼思想に強く共鳴していた人ですし、高畑勲もマルクス主義はもちろん、リアリズムという、これも近代的なイデオロギーに深く根ざした作家でした。つまり、戦後前半の「大きな物語」──人々が共通に信じていた理想や理念を、そのまま作品に反映していたわけです。スタジオジブリの初期に彼らが生み出した作品群は、その時代の熱量を背負っていたといえるでしょう。

いっぽうでふたりの高齢化もあり、ジブリの後半期を担う新たな監督たちが登場します。たとえば、吾朗が『ゲド戦記』で監督デビューを果たしたのが2006年。これはほぼジブリの設立から20年、歴史の中間地点にあたります。

吾朗の作品には、やはり「父」である宮﨑駿との対峙が色濃く反映されています。『ゲド戦記』の冒頭で主人公が父親を殺すという衝撃的なシーンが象徴するように、偉大な父をどう乗り越えるかが、主題として浮かび上がります。

『ゲド戦記』

もうひとりの監督、『借りぐらしのアリエッティ』(2010)や『思い出のマーニー』(2014)を手掛けた米林宏昌の作風はまた異なります。あまり強いメッセージや理念を押し出すタイプではなく、どちらかというと、往年の宮﨑アニメの要素を丁寧に拾い上げ、それらをリミックス・サンプリングするようなスタイル。ある種「オタク的」あるいは「二次創作的」ともいえる姿勢で、ポスト宮﨑的なアニメを作っている印象があります。そのため、往年の宮﨑ファンからすると物足りなさを感じるかもしれませんが、私はむしろその対比がとても興味深いと思っています。かつて共有されていた「大きな物語」や理念が崩壊したあと、どのように作品を作っていくのかという問い。米林監督の作品はそれへのひとつの応答であり、新たな可能性を体現しているのではないでしょうか。

『借りぐらしのアリエッティ』

このように、ジブリを様々なキーパーソンが関わる「運動体」としてとらえ直すと、そこには戦後日本の社会変化とオーバーラップする豊かな流れが見えてきます。言い換えれば、「戦後日本」というプリズムを通してジブリを見る。そして、ジブリというプリズムを通して戦後日本を見る。そんな相互的な視点から、ジブリの40年を考えてみたのが本書です。

また、担当編集の方と本書の企画を練り上げる中でお世話になった中央公論新社ノンフィクション編集局には、たとえば『安倍晋三 回顧録』など戦後政治に関わる本を手掛けられた方もいらっしゃって、「戦後」という切り口は、そうしたところからの示唆もじつは大きいです。

高畑勲の独特のリアリズム

 ──「戦後」という枠組みを通して、社会的なインフラなどとの密接な関わりも明らかにされたジブリ論が展開されていて、とても面白く拝読しました。

今回は個展の開催も控えていることから、高畑勲監督についてまずは詳しくお聞きしたいと思います。渡邉さんは、高畑監督の作家性をどのようにとらえていらっしゃいますか?

渡邉 最近は生成AIの「ジブリ顔」が話題になりましたが、ジブリをあまり見ていない人のなかには絵柄や作風から、高畑作品と宮﨑作品の区別が付いていない人もいると思います。ただ、ふたりには明確な違いがあります。

宮﨑駿監督はなんといっても、人を楽しませたいというエンターテインメント志向の娯楽作家です。エンターテインメントであるがゆえに、ご都合主義的なところもあります。これは過去に宮﨑監督自身も自己批判をしていますが、彼の作品の場合、物語で生じる葛藤や困難が、主人公の世界の外側からやってきた奇跡によって、勝手に解決されることが多い。『天空の城ラピュタ』の滅びの呪文「バルス!」がわかりやすいでしょう。

『天空の城ラピュタ』

いっぽうで、高畑勲作品はリアリズムが根幹にあります。彼の作品の場合はこの現実世界と同じ、主人公たちの目の前にある、客観的な、ありのままの現実が、そのままのかたちで展開されます。とくに1990年代半ばまでの作品は作画も非常に緻密でリアルで、表現のうえでも写実主義でした。物語の展開としても、宮﨑作品のようなミラクルは絶対に起こりません。何か困難があったときに、主人公たちはまさに自分の力だけで、主体的・自立的にそれを乗り越えようとしていきます。『火垂るの墓』は、それが乗り越えられずに亡くなってしまうという終わり方です。

逆に『おもひでぽろぽろ』(1991)や『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)は、主人公たちが目の前の、現実の困難を自分たちのなかでとらえ直したり、その現実のなかでいろいろなことを学び、成長していく。現実を乗り越えていくという解決方法を一貫して描く、それが高畑勲の作家性だと思います。

『平成狸合戦ぽんぽこ』

本書では、高畑作品のリアリズムや、彼が重視していた「教育」という主題が、非常に近代的で「大きな物語」を体現していたということを書きました。

令和世代からするとそういう高畑作品には距離感があるというか、リアリティの違いを感じるかもしれません。けれども、逆にそこが新鮮に映るのかもしれませんし、私としては、もう一度、多くの人に見直してほしいという思いがあります。

本にも書きましたが、私が教えている大学の授業で、学生にアンケートを採ると、いまの若い人はほとんど高畑勲作品を見ていなくて、さみしく感じます。『火垂るの墓』と『かぐや姫の物語』(2013)などしか知らず、『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)は見ていません。まあ、『山田くん』は私と同世代でも見ていない人が多いですが……(笑)。

『ホーホケキョ となりの山田くん』

──ご著書のなかで、『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』を「拡張現実三部作」と呼ばれているのが面白いと思いました。この言葉の意味するところをお話しいただけますか?

渡邉 「拡張現実Augmented Reality」(AR)は、一般的には『Pokémon GO』のように、目の前の現実世界にスマートフォンなどをかざすと、3Dのバーチャルな画像が浮かび上って現実に重ね書きされるような技術です。

 『おもひでぽろぽろ』では、たとえば、27歳のタエ子の現実世界に、10歳の子供の頃のタエ子が、まさに『Pokémon GO』のように出てきます。『火垂るの墓』も高畑らしい演出で、時空が重ね描きされています。戦時中の清太と節子の様子を、幽霊になってしまった清太が客観的に見ている映像表現は、やはりARと似ているところがあります。

これらの作品では、宮﨑監督的な「ファンタジー」とは別の方法で、現実のうえにまた別の現実が重ね描きされています。それは幻想的なファンタジーとしての表現ではなく、いわば主人公たち自身が、批評的なメタ視点で自分を対象化してとらえている姿を寓意的に示している描写なわけです。高畑監督はこの表現方法を何度か代表作の中で使っており、それを私はAR的、拡張現実的な表現だと読みました。

『おもひでぽろぽろ』

『山田くん』『かぐや姫』で到達した「余白のリアリズム」

──宮﨑監督は「ファンタジー」の作家、高畑監督は「リアリズム」の作家、というように対比的に語られることがよくありますが、実際には高畑監督の「リアリズム」とは、目の前に見える現実をそのまま描くという素朴な意味でのリアリズムではありませんよね。

渡邉 高畑勲についてよくある問いとして、客観的な現実を描くリアリストならば、実写映画を撮ればいいのに、なぜアニメーションを作っているのか、というものがあります。もちろん、宮﨑と違い、高畑は実際に、『柳川堀割物語』(1987)のような実写のドキュメンタリー作品も撮っています。ただ、もっと本質的に言えば、彼がやりたいリアリズムというのは、実写の映像では表現できないリアリズムなんです。映像理論において「指標性」と呼ばれる、フィルムカメラが現実世界を物理的に記録するといった意味でのリアリズムではない、もう少し独特なニュアンスを持った、かっこ付きの「現実」といえばいいでしょうか。

身も蓋もないことをいえば、高畑が最初に入社したのが東映動画(現在の東映アニメーション)というアニメーション制作会社だったために、彼はその後もアニメーションを作り続けたということはあるでしょう。ただそれだけではなく、彼が信じたリアリズムを表現するうえで、アニメーションが向いていたということもあるはずです。

作画についていえば、「拡張現実三部作」をはじめとする1990年代頃までの高畑作品は、近年の新海誠監督作品にも通じる意味で、非常に緻密でリアルな描き方をしてきました。しかしその後、彼は考え方を変えて、自身の作品のそうした面を「クソリアリズム」という言い方で自己批判するようになります。こうした観点から、盟友の宮﨑が監督した『もののけ姫』も批判しています。

そして高畑は、表面的にはリアルではない、日本画のような、余白ばかりのシンプルな絵へと移行していき、それこそがリアリズムだと言い始めます。その実験的な試みが顕になったのが『となりの山田くん』であり、その後、『かぐや姫の物語』というアニメーション史における傑作を生み出しました。私はこれを「余白のリアリズム」と呼んでいます。

『かぐや姫の物語』

高畑は恐らく、アニメーション作品が表面的なリアルさを高めるために緻密に描き込まれることで、そのなかに私たちが暮らす現実とまったく関係のない、密室的な世界を作ってしまうことに危機感を抱いていたと思います。私の好きな高畑勲の言葉で、「作品のなかと現実というのは、こちら(現実)で風が吹けば作品のなかにサッと流れ込んでくるという、そういう地続きの感じで作ったほうがいいだろうと思う」(NHK「あの人に会いたい」のなかの過去映像での発言を渡邉が文字起こし)というものがあります。

『となりの山田くん』は原作のいしいひさいちさんの、マンガ的に記号化された、まったくリアルではないマンガチックなキャラクターを素材にして、なおかつ、描き込まないシンプルな線で絵を作っています。写実的な表現をあえてやめて、画面に余白をたくさん作ることによって、現実と作品とのあいだに風を通し、結び付けようとしているように感じました。また、そうした余白や隙間に、私たち観客がリアリティを主体的に読み込んでいくことを高畑は願っていたように思います。それが、高畑勲がたどり着いた最後の境地なのでしょう。

『となりの山田くん』

また高畑は1990年代以降、絵巻物の研究に本格的に取り組んでいます。『となりの山田くん』と同じ年に刊行した『十二世紀のアニメーション: 国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』という本は、日本の中世の絵巻物の中に、アニメーションやマンガ的なものの起源を見いだすという、彼独自の美術史研究をまとめたものです。日本の伝統的な絵画が持っていた、西洋的なリアリズムとは違ったリアリズムを、彼が若い頃から影響を受けてきたアンドレ・バザンやネオレアリズモなどの教養と一体になったかたちで消化しようとしたものが、『かぐや姫の物語』に至る晩年の達成だったのではないかと思います。

日本美術の専門家に聞くと、『十二世紀のアニメーション』は正確性という点であまり評価できないようですが……。

──高畑監督の独自の美術史・マンガ・アニメ史観ということですよね。

『十二世紀のアニメーション: 国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』

1950年代の時代精神「ドキュメンタリー」がハイジを生んだ

──「余白のリアルズム」へと至る前に時代を遡りますが、今年開催される高畑勲展」では、『火垂るの墓』とともに『アルプスの少女ハイジ』(1974)を中心的に取り上げるそうです。『ハイジ』はジブリ以前のテレビシリーズで、高畑勲が演出、宮﨑駿が場面設定・画面構成を手掛けています。本作については、一般的な意味でのリアリズム描写が、当時のアニメ表現としては傑出したものとして高く評価されてきました。こうした高畑のリアリズム志向がそもそもどのように培われたのかという点について、渡邉さんは、高畑が人格形成を果たした1950年代が「記録の時代」だったということを指摘されていますね。

渡邉 彼は1950年代に20代前半を過ごし、1959年に東映動画に入社しました。当時の様々な文化状況や思想からの影響が、高畑の作家性に大きく影響したと思います。当時はリアリズムや記録、ルポルタージュ、ドキュメンタリーといった言葉の趨勢とともに、現実をどのように記録するかということが、様々な領域で非常に重要だった時代です。高畑勲もアンドレ・バザンの映画批評などを通じて、イタリアのネオレアリズモなどを摂取していた。戦後直後のイタリアで作られた、一連の、現実重視の現代映画の傾向です。東映動画に入り、そこで社会主義や左翼思想などの影響を受けましたが、1971年に宮﨑駿などと一緒に退社し、その後、複数のプロダクションを渡り歩きながらアニメーションを作っていきます。

『アルプスの少女ハイジ』やその後に続く『母をたずねて三千里』など外国を舞台にした世界名作劇場シリーズには、ネオリアリズモの影響が反映されていると思います。そうした表現をアニメで達成するために、『アルプスの少女ハイジ』では日本アニメーションの制作現場としては初めて、実際にヨーロッパにロケハンに行って、人々の日常生活を丹念に記録し、物語に生かしました。その頃から彼のリアリズムの姿勢が明確化していったと思います。

いっぽうで、シュルレアリスム的な表現も、同時に高畑監督の作品に見られることは興味深いです。

たとえば『火垂るの墓』で、清太と節子が空襲から逃げたあと、清太が避難所で負傷したお母さんに対面するあいだに、節子が校庭で待っているシーン。背景が白く飛び、抽象的な空間になった校庭で、ぐずっている節子を清太が慰めようと鉄棒で回る場面は夢のようで、古賀春江ら戦前の日本のシュルレアリスム絵画を彷彿とさせます。

鳥羽耕史さんの『1950年代』(河出書房新社)によると、1950年代にはルポルタージュ絵画や記録映画、テレビ・ドキュメンタリーといったメディアを通した「記録」が重視され、一見対極的なシュルレアリスムもその一環として注目されていたようです。

──それは面白いですね。映画監督/映像作家である松本俊夫の第一評論が『映像の発見 アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(1963年出版)というタイトルですが、1950年代は復興期の現実をどのようにして把握するのかという「記録」の問題に肉薄するなかで、アヴァンギャルド/シュルレアリスム方法を使った新しいリアリズムが模索されていました。そういう流れから高畑監督が受け継いだものがあったのかもしれません。

『王と鳥』

渡邉 アヴァンギャルド、ドキュメンタリー、シュルレアリスムが一体となった50年代の思想は、安部公房なども体現していたものですね。高畑がとても影響を受けた、ポール・グリモー監督、ジャック・プレヴェール脚本の『やぶにらみの暴君』(1952、後に『王と鳥』と改題されて完成)という作品があります。日本でも53年に公開されると、東映動画などのアニメーション関係者に大きな影響を与えました。本作は「抑圧からの解放」という戦後の政治や思想を反映した強いメッセージ性を持った作品ですが、プレヴェールがシュルレアリストと関わりを持っていたこともあり、ほぼ同時期に日本に紹介されたノーマン・マクラレンなどの実験アニメーションとともに、日本におけるシュルレアリスムの理論的支柱であった瀧口修造をはじめ、美術評論家や美術関係者にも高く評価されました。1950年代はアヴァンギャルドとリアリズムとアニメーションが混ざり合っていた時代だったのでしょう。その辺りにスタジオジブリの表現を読み解く鍵のひとつがあるのではないかと思います。

*後編へ続く

渡邉大輔
わたなべ・だいすけ 1982年生まれ。映画史研究者・批評家。跡見学園女子大学文学部准教授。専門は日本映画史・映像文化論・メディア論。映画評論、映像メディア論を中心に、文芸評論、ミステリ評論などの分野で活動を展開。著書に『イメージの進行形――ソーシャル時代の映画と映像文化』(人文書院、2012)、『明るい映画、暗い映画――21世紀のスクリーン革命』(blueprint、2021)、『新映画論 ポストシネマ』(ゲンロン、2022)、『謎解きはどこにあるーー現代日本ミステリの思想』(南雲堂、2023)、『ジブリの戦後ーー国民的スタジオの軌跡と想像力』(中央公論新社、2025)。共著に『アニメ制作者たちの方法』(フィルムアート社、2019)『スクリーン・スタディーズ』(東京大学出版会、2019)、『本格ミステリの本流』(南雲堂、2020)ほか。


福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。