左から、齋藤恵汰(美術家/キュレーター)、藤堂真也(アーティスト)、川口智子(演出家)、田中峻(⼀般財団法⼈JR東⽇本⽂化創造財団)
演出家の川口智子の新作、コンテンポラリー・パンク・オペラ『鏡の向こう見えない私の顔』が、1月9日から11日に東京・表参道のスパイラルホール(スパイラル3F)で上演される。
ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの小説『鏡のなかの鏡──迷宮──』に着想を得ながら、アンドレアス・マルムの著書『パレスチナを破壊することは、地球を破壊することである』、デレク・ジャーマンの映画『ブルー』、サラ・ケインの戯曲『4.48 Psychosis』を思考の柱にした本作。作家たちの言葉やそこから立ち上がるイメージが乱反射して歌となり、また新しい響きをもちはじめる──。
そこにメディアアートのアプローチからさらなる息を吹き込むのが、3Dスキャンを用いた作品を制作するアーティストの藤堂真也だ。
実在する立体物の形状をデータに変換してコンピューターに取り込む3Dスキャンの表現が、本作にどのようにインストールされているのか。演劇作品と融合する面白さとは? 川口、藤堂に加えて、ふたりがつながるきっかけとなった⽥中峻(⼀般財団法⼈JR東⽇本⽂化創造財団)と、美術家・キュレーターの齋藤恵汰をゲストに迎えて座談会が行われた。
川口 自主公演は6年ぶり。今回は音楽家の鈴木光介さんとの協働で、全編を歌で構成する「コンテンポラリー・パンク・オペラ」として上演します。完全に個人の企画なので、まずは会場探しからでした。そのときに、以前別の劇場でお世話になった田中さんに相談したんですよね。

田中 「私に合うホール、どこだと思います?」と(笑)。実験的なことができる自由な空気が合うんじゃないかと思って、民間の劇場を中心にいろいろと提案したなかのひとつが、スパイラルホールでしたね。
川口 はい、お客さんがこの作品を受け取って帰っていく導線をどうデザインするか考えたときに、ここがいいなと思いました。それがちょうど1年前。まずはざっくり、どんなことをやろうとしているのかをスパイラルホールの大津さんにお話ししました。そうしたら、「どういうお客さんに見せたいですか?」と聞かれて、「絶望している人ですね」と答えたことを覚えています。
今回、着想を得た小説の著者エンデは、「森林が破壊されていることにはみんな注目しているけれど、人間の精神が荒廃していることには全然関心を向けてない。それは喫緊の課題なんだ」ということを80年代にすでに言っているんです。それはコロナ禍のあとのいまの時代と重なるなと。みんなが等しく病んでいる空気がある。そんなことを考えていたときに、劇場にわざわざ足を運んでパフォーマンスを見る理由は、やはり気持ちを上げたいからだと思ったんです。なら「心のなか」の話をしよう、そしてそれをエンターテインメントとしてきちんと届けていきたい。そう思ったのが始まりでした。
それからスパイラルホールに何度か足を運んで、いろいろと議論をしていくなかで、たんなる舞台美術や空間構成ではないという方向性を決めていきましたが、最初に「メディアアートを取り入れるのはどうですか?」と口火を切っていただいたのは田中さんでしたね。
田中 メディアアートは、デジタルやテクノロジーを扱う表現を指す言葉ですが、いわばそうした空間表現を人に体験してもらうことで、人の心を動かそうという仕組みのはずなんです。川口さんの過去作『海のツブ』や『恋愛のあなた(たち)・断章』で、とても小さい小道具や仕掛けをたくさん使いながら、それをちゃんとお芝居として成り立たせているところを見たときに、同じ方向を向いているなと感じました。

川口 そういうことだったんですね。ただ正直、私はメディアアートという括りをとらえるのが難しくて。そこで、舞台芸術と融合した作品のなかで、これまで自分が観客として体験して感動したものはなんだろう? と考えました。たとえば、テクノロジーに頼ることで何か自分の感覚が制限されることにより、むしろ自由になると思えたときは、ものすごくいい作品に出会えたなと感じます。私は演劇の稽古でブラインド・ウォーク(目隠ししてまちなかを歩く)をやることが多いのですが、それにほぼ近いと感じました。ある感覚を遮ることで、世界との関わり方がいつもとは違うものになる、しかもそれが不自由ということだけではないみたいなことができたらいいなと思いながら、藤堂さんにお会いしました。
藤堂 僕は演劇作品に関わるのは初めてでした。今回は「メディアアーティスト」という立ち位置で声をかけていただいたとは思うのですが、メディアアートをやってきたという意識があるわけじゃないんです。だから今回の肩書きは少し怖さもあって。

齋藤 メディアアートというジャンルをどうとらえるかはたしかに複雑ですね。メディアアートとアートは、2010年代くらいにほとんど枠組み的には崩れてしまったと思います。メディアアートはもともといくつかの流派があり、それぞれのメディアアート観があった。しかし、ライゾマティクスやチームラボが台頭してきた2010年代後半くらいに、なんとなく棲み分けている場合じゃないぞという感じになって、合意形成が進められた流れがある。同時に、Ars Electronica Japanや文化庁メディア芸術祭が、当時の流れを汲んで動き、それらを見ていたいわゆるコンテンポラリーアートの作家もそれに合流するかたちで入ってきた。そういったなかで、第24回メディア芸術祭で大賞を受賞したアーティストの小泉明郎さんのようなメディアの特性を活かせる作家が全体を融解したイメージがあります。
川口 まさに私は小泉明郎さんの『縛られたプロメテウス』で本当に感動しました。じつはそんなにテクノロジーに興味があったわけでもなく、それによる新しいアプローチがあるというのはあまり信じていなかったんです。でも、こんなことができるのかと衝撃を受けました。
川口 メディアアートだけれど、アナログ的なことをやっている人がいいと思って藤堂さんをご紹介いただきました。演劇作品は生身の人間と共演するので、技術のなかに手触り感みたいなものが仕込まれていないと同じ舞台に乗れないんじゃないかという心配があったんです。最初のミーティングは、3Dスキャンという技術がいったい何なのか、藤堂さんは3Dスキャンを使うことでいったい何を見ようとしているのかを伺うところからスタートしましたね。
藤堂 僕は大学、大学院では建築を専攻していて、空気膜構造の研究をしていたほか、布を使った空間インスタレーション作品の制作などをしていました。それとは別に、半ば遊びとして取り組んでいたのが3Dスキャン技術を使った作品制作だったんです。当時手に入れたiPadについていた3Dスキャン機能を使って遊んでいるなかで、あるとき、鏡をスキャンしようとすると面白いエラーが起こることに気づきました。iPadに搭載されている3Dスキャナーは、レーザー光の反射を利用して対象の3次元形状をデータ化するものですが、光を反射しきってしまう鏡自体は認識されず、鏡のなかの世界が3Dモデルとして生成されてしまいます。そこで大きな鏡をいろんなところに置いてスキャンしたら、実世界と鏡の世界が入り混じった像が作れるんじゃないかと。

もうひとつ関連してやっていたのが、加速度が発生している空間を3Dスキャンすること。iPadでの3Dスキャンでは、加速度センサーの情報が活用されています。そのため、車や電車のなかなど加速度が発生している空間内でスキャンをすると、空間が引き伸ばされたような3Dデータが得られるのです。そのほかにも移動している対象をスキャンする試みもしていました。たとえば歩いている人にスキャナーを向けていると、移動にともなってどんどん形が更新されていくので、動きの軌跡が立体像として取得できます。これら、一種のエラー的なものが表現になるのでは?と思い、大学院の展覧会と東京・南⻘⼭にある複合⽂化施設「スパイラル」が若⼿作家の発掘・育成・⽀援を⽬的として2000年から開催しているアートフェスティバルSICF(スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバル)に出展しました。


川口 私はそのエラーに加えて、対象全部がスキャンできるわけじゃないこともすごく面白くて。光を当てて感知できる5メートル以内しか情報が手に入らないので、そこから情報がガタッと落ちる。その情報の落ちているさまが、心のなかと同じだなと思ったんです。心のなかって可視化できなくて、たぶん多くの人がそれをどうにかしようと思っているんだけれど、情報がないからわからない、触れないという状況がある。それを受け入れられるきっかけになるんじゃないかと。エラーが起こることや情報が落ちていることがむしろすごく可愛く思えて、人格が見出せる感じがしました。
そしてもうひとつ、藤堂さんが「撮っている人がどう動いたかがわかる」ということを作品にされているのも興味をひかれました。
藤堂 3Dスキャンによって得られるのは3次元のデータなので、鑑賞はどの方向からでもできるわけですが、たとえば歩いている人を追いかけるように後ろからスキャンしたデータは、前に周りこんでも顔はないんですよね。結果として、撮影者の視点がすごく意識されるものになる。僕はこれが、主観的な体験を客観的にする表現装置になるんじゃないかと思って、作品を作っていました。そういう観点が、今回の公演にも近しいのかなと思います。
川口 まさにそうです。それで実際にスパイラルホールでスキャンを使って遊ばせてもらったときに、誰かが「合わせ鏡のなかにいる人をスキャンしたらどうなるんだろう」と言ったので、やってみたんですよね。そうすると、合わせ鏡に写った顔は映るんだけれど、像の後ろ側が抜け落ちていて、ハリボテみたいになっていった。それがすごく面白かったのですが、どういうふうに作品のなかに入れるかというのは難しく、そこから丸3ヶ月くらいかかりましたね。「概念」では話ができるけれど、舞台にのせるときにはどうしたらいいんだろうと。
藤堂 僕はそれまで3Dスキャン作品のアウトプットの仕方として、3Dデータを写真で見せるか、映像で見せるかのふたつしか知らなかった。でも、たんなる舞台の背景映像にはしたくないと最初に川口さんからお聞きしていました。そこでみんなでいろいろと試行錯誤しているなかで、「ペッパーズゴースト」という手法があることを制作の中條さんが見つけたんです。

藤堂 ペッパーズゴーストとは空中像を作りだす演出技法で、「擬似ホログラム」と紹介されていることもあります。観客からは直接見えていない位置にある像が、傾いて置かれたガラス板などに反射されることで、空中に浮かんだ像として観客に見えるという、古典的な技術です。
川口 それを今回は上演の大事な装置として作ったんですよね。

齋藤 そのアイデアを出せたということが、「表現の手触り」との一致という面で大きそうですね。
川口 それはすごくあると思います。まだ内容はこれからですが、そこに映していくものを3Dスキャンで作っていくことも要になるんじゃないかな。今回のテキストのなかに、コップやお皿、ガスコンロなど、ものがいっぱい出てくるんです。それらが、かつて人が住んでいた瓦礫化しているまちのなかにあるという情景を描くときに、ペッパーズゴーストがなにか「不在の象徴」として存在する。実存はないんだけれど、私たちはそこに思いを馳せているということを描くために、すごくいい構造になっていきましたね。“疑似”ホログラムであるということもとても大事。
齋藤 ヴェイパーウェイヴやY2Kといった若者文化で、過去の懐かしさを感じられるものが、ノスタルジックに起用されることがあると思います。彼らはそれを経験して大人になったのではなく、むしろいま初めて経験しているにもかかわらず、懐かしさが想起されている。そうした「経験なきノスタルジー」のようなものに近いなと思いました。

田中 このペッパーズゴーストは演出上、動かすのですか? もともとこの手法はトリックを明かさないように使われるものだと思うんですよ。
川口 そっか(笑)。動くんですよ。動かせることで、このペッパーズゴーストのキューブ自体に人格が生まれることが重要だと思って。
藤堂 ペッパーズゴーストは、舞台の演出技術として登場しており、東京ディズニーランドのホーンテッドマンションにも同じ原理を用いた仕掛けがあるなど、大規模な実装は多くの例があります。今回面白いのは、ペッパーズゴーストの装置にキャスターがついたこと。動くペッパーズゴーストというのは珍しいんじゃないかなと思います。そこに新しい表現の可能性がありそうだなと思っています。
川口 最後に率直に聞いてみたいのですが、藤堂さんは初めて演劇作品に関わられて、どう思っていますか?
藤堂 こんなに“セッション”なんだな! と驚きました(笑)。僕は前にインターンとしてエンジニアリングのスタジオにいたんですけど、そこでは「こういう表現をしたい」というお題に対して方法を提案するという感じでした。でも、今回は与件がないなかで、みんなでアイデアを出し合いかたちにしていく。そして実際にかたちになってきたからこそ、川口さんのテキストが読めるようになった感じもあり、そこに舞台のカルチャーに対する新鮮さを感じました。あと、いろんな人が多方面から一斉に見るという舞台ならではの鑑賞の在り方も、面白いなと。
川口 1年前に初めてスパイラルに足を運んだときには、「3Dスキャン」を上演に入れるというのは思いもよらなかったけれども、藤堂さんと時間をかけて話すなかで、テキスト自体に大きな影響も与えることになった。自分が全然知らない考え方をもっている人がいてくれるってすごいことだなと。それは音楽で入っていただいている鈴木光介さんもそうだし、プロダクションメンバーのみなさんがそうなんです。いろんな人とやりとりを重ねながら作ってきて、密度の濃い作品になってきています。ぜひ劇場で体験してほしいです。
コンテンポラリー・パンク・オペラ『鏡の向こう見えない私の顔』
1月9日〜1月11日
チケット発売中 詳細は公式サイトへ