伊藤亜和が見た、草間彌生「INFINITY」(エスパス ルイ·ヴィトン大阪)。無限に広がる水玉と網目のなかで

草間彌生の初期から近作までが集う展覧会「INFINITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」を、文筆家の伊藤亜和が訪ねた。会期は7月16日〜2026年1月12日 

伊藤亜和 草間彌生《無限の鏡の間―ファルスの原野(または フロアーショー)》(1965/2013)の展示室にて 「INFINITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」(エスパス ルイ·ヴィトン大阪) Photo:Suguru Tanaka

草間彌生の展覧会「INFINITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」が、エスパス ルイ・ヴィトン大阪にて開催されている。会期は2026年1月12日まで。

世界で愛される日本人アーティスト草間彌生の、代表的なインスタレーションや絵画などを展示する本展。これまでルイ・ヴィトンとは協働したアイテムを発表したり、店舗そのものもドットで覆ったコラボレーションを展開したりと、深い結びつきを示してきたが、そんなメゾンの持つスペースで開催される貴重な機会だ。

今回エスパス ルイ・ヴィトン大阪を訪れたのは、いまもっとも注目を集める文筆家の伊藤亜和。セネガル人の父と日本人の母を持ち、2023年に家族のことを綴ったエッセイ「パパと私」をnoteで発表するとたちまち話題に。その後『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)、『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)を続けて出版。家族、友達、そして恋人との関係など、「わたし」の視線から日々を綴った文章が多くの共感を集めている。そんな伊藤の「私」の視線は、草間作品が発する「私」のエナジーを、どのようにとらえたのか? 書き下ろしテキストをお届け。【Tokyo Art Beat】

「INFINITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」(エスパス ルイ·ヴィトン大阪) Photo:Suguru Tanaka

無限でひとり。私はここに。

「世間の目や、古い道徳にしばられて、ただお嫁に行くのを待つよりも、スーツケースひとつさげて、物乞いをしても、野宿をしても、自分の好きなことをして生きるべきなのだ。私のように」(*1)

自伝『無限の網』のなかで彼女はそう綴る。これを読みながら私は、エスパス ルイ・ヴィトン大阪の入口に大きく掲げられた「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」(パリ)の設計スケッチのことを思い出していた。フランク・ゲーリーによって、幾重もの線で思うがままに描かれたイメージは、一見ひどく投げやりに見えるのだが、少し離れたところから焦点を外して形のみをとらえれば、それが風を受けて海を渡る大きな帆船であることがわかる。たゆたえども沈まない、旅の象徴。その姿はルイ・ヴィトンの原始的なテーマであると同時に、生涯を懸けていまなお闘争を続ける草間彌生という人物そのもののようすでもあるように思えた。

横浜市の中心部で生まれた私は、幼い頃からアートを自然に受け取ることのできる環境で育ってきた。3年に一度、横浜市で行われる「横浜トリエンナーレ」から与えられた無意識の影響は大きい。会期中に限らず、街中には巨大な彫刻やオブジェが点々と置かれていて、私たちは家族と過ごす休日や、習い事の帰り道でも、それらから逃れることはできなかったのである。小学生の頃は大きな蜘蛛の巣のようなオブジェの周りをぐるぐると周りながら時間を潰したこともあったし、床一面に塗られたバターの上に人が寝そべっているのを見てあっけにとられたこともあった。そういったことが日常にたびたび起こっていたことで、私たちは良くも悪くもそれが何を表そうとしているのか、あまり深く考えていなかったようにも思う。草間彌生について調べていくなかで、私が5歳のときに開催された第1回横浜トリエンナーレに、彼女が2つの作品を出品していたことを知った。私たちの世代にとって彼女は、教科書に載っているよくわからない人物で、その奇抜な出で立ちも相まって、なかば空想上のキャラクターに近い存在だった。作品を見たことはあるかもしれない、あるいは、あまりにもよく見かけるせいで長い時間その前で立ち止まったことがなかったのかもしれない。したがって、彼女の作品と真正面から対峙するのは、これが初めてのことだった。

「INFINITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」(エスパス ルイ·ヴィトン大阪) Photo:Suguru Tanaka

会場に入ってすぐ、振り返ると壁一面の大きなタブローがあった。濃い紫色に塗られたキャンバスの上に、オレンジ色の網目がうねるように描かれている。なにか大きなモチーフが一目瞭然と乗っかっているわけではない。私は何か情報を得ようと、絵の間近まで顔を近づけて鑑賞する。途切れることなく細かく張り巡らされた網の大群。そのなかで筆を持ち上げたときにできる、ツンとした絵具の形がさざ波のように立っていた。

それを見てはじめて、私は彼女が確かに生きていて、凄まじい集中力でこれを描き上げたことを知る。傍らで表面をなぞるように見つめたあと、今度は正面に立ってジッとその模様を見てみる。身体から力を抜いてぼんやりとそれを眺めていると、次第にそれはキャンバスの輪郭から解き放たれて周囲の白い壁に広がり、私の視界いっぱいに迫ってきた。時間も何もかも遠ざかって、やがて自分自身も飲み込まれてしまうような感覚に陥る。幼い頃はこうして、ときどき一点を見つめることで湧き出る浮遊感を楽しむ時間があった。手のひらを眺めているだけでも、指の1本1本が徐々に自分の所有ではなくなっていくような体験を、私はずっと前から何度も経験していたはずなのだが、最近は目まぐるしく変化していく周囲を追うことに必死で、長らく忘れてしまっていたようだった。かつては安堵感すら抱いていたように記憶しているその感覚を、いまの自分が少し恐れていることに気づく。私が私であるという感覚はごく一時だけに与えられたものであり、ふとした瞬間、意識は身体の隙間から外へ外へと促され漏れ出してしまうことを思い出した。草間彌生は、幼少期からしばしば幻覚を見たという。彼女の作品への衝動は、その幻覚や性器、画一化された社会で大量に生産される同じ形の食べ物など、あらゆるものに対する恐怖から起こされていて、彼女は自らの内から湧き出るものだけが創作の土台だと語った。

「INFINITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」(エスパス ルイ·ヴィトン大阪) Photo:Suguru Tanaka

「嫌いなもの、厭なもの、怖いものを、作って作って作っていってそれを乗り越えていくのが、私の芸術表現なのだ」(*2)

恐ろしいものから、彼女は決して逃げることなく闘争を続けてきた。それは自らを破滅させる自傷ではなく、それに打ち勝ち、生き抜くための手段だ。私にも怖いものがある。文筆家として自分自身や周りの人たちをエッセイとして書き留めることを始めたのは、ごく最近のことである。しかしそれ以前から、私はこの世界の端から端まで存在している人間というものについて、ある種薄気味悪さのようなものを感じていた。新宿の交差点で信号を待つあいだ、私は道路の向こう側のにある高層ビルに張り付いている、無数の窓のうちのひとつを注意深く見つめる。中のようすなど到底わからないその一室に明りが灯っているのがわかると、私はなんとも言えない恐怖を覚えるのだ。電車に乗り、車窓から見えるたくさんの住宅のひとつに意識を向けたときも同じような気持ちになる。あそこには私の知らない人たちが住んでいて、生活があり、そしてその人々には、私の知り得ない何十年もの人生があって、さらには想像しがたい複雑な人間関係を築いているらしい。私はそれこそが無限のように感じられ、それが堪らなく怖い。

「INFINITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」(エスパス ルイ·ヴィトン大阪) Photo:Suguru Tanaka

生きている限りできるだけいろいろな場所に足を運んで、できるだけの人の人生を見たいと私はいつも願っているのだが、短い命のなかですべてを知ることは不可能であることも解っている。私が人について書くことはたぶん、その恐怖を慰めるための手段なのだと思う。怖いものを手に取れる範囲で把握して、自分の書く文章の中に封じ込めて作品にする。そうすることで、どこへでも飛んではいけない私は自身のいまいる位置を少しばかり把握し、安心する。自分を取り囲む悩みや、身を裂くような別れの瞬間を削り出して、その傷があるからこその私なのだと証明し続ける。私にはスーツケースひとつ持って、たったひとり旅に出る勇気はない。自分が際限のない大きな世界に放りだされることを、いまの私は拒んでいる。それでも、終わることのない連なる網目、不規則に描かれた水玉模様、キャンバスのなかを無尽に回転しながら動き回るような円形に至るまでが、私を無限の世界へと引き込もうとしているように感じる。大きな水玉に愛らしい文字で書かれた平和への願いは、この無限の世界でちいさく生きている私に向けた、大きな灯火のような道しるべのように思えた。

「INFINITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」(エスパス ルイ·ヴィトン大阪) Photo:Suguru Tanaka

靴を脱ぎ、裸足のまま《無限の鏡の間―ファルスの原野(または フロアーショー)》のなかへ入る。四方に貼られた鏡の向こうには、水玉模様のファルスと、そこに佇む私の姿がどこまでも続いている。自分がこの無限のなかのひとつとして没入すること。外の声は壁1枚を隔てて、もはや遠い世界の話題のよう。何も知らなかった幼い頃のように、身体をゆだねてみようとその場に腰を下ろす。それでも相変わらず、私はいつもより綺麗に化粧を施してもらった自分の顔ばかりを見つめていた。宇宙のなかのひとつにすぎない、いつか無限のなかに消えるであろう私の輪郭を、私の瞳はいつまでも確かめ続けていた。

「INFINITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」(エスパス ルイ·ヴィトン大阪) Photo:Suguru Tanaka

*1──草間彌生『無限の網―草間彌生自伝』(新潮文庫) p.137、新潮社、Kindle版
*2──草間彌生『無限の網―草間彌生自伝』(新潮文庫) p.105、新潮社、Kindle版

ヘアメイク:PARADISE WEST 久保木 純

伊藤亜和

伊藤亜和

1996年横浜市生まれ。文筆家。学習院大学 文学部 フランス語圏文化学科卒業。noteに掲載した「パパと私」がX(旧Twitter)でジェーン・スー氏、糸井重里氏などの目に留まり注目を集める。著書に『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)「私の言ってること、わかりますか」(光文社)。「CREA」「りぼん」など、各媒体でも連載中。