公開日:2025年8月28日

SNS時代のアーティストにとって「ファッション」は重要か?【対談】大平かりん×小石祐介|『アーティストが服を着る理由』刊行記念

『アーティストが服を着る理由──表現と反抗のファッション』がフィルムアート社より8月27日に発売。ファッションエディターの大平かりんと、アート×ファッションを題材に評論活動を行ってきた小石裕介が、「装い」の持つ機能とイメージ戦略、そしてSNS時代におけるコミュニティ、インフルエンサー論について話す。

左から、大平かりん、小石祐介

アートとファッションの関係はたびたび論じられてきたが、アーティストのファッションについてはどうだろうか? 写真・映像やパフォーマンス作品のなかで着る服、制作するときの機能的な服、そしてジェンダーや階級の規範に挑戦する道具としての服……アーティストによる衣服の選択は、ときに作品以上の何かを物語っているとも言える。

イギリスのファッションライターであり、2019年ターナー賞の審査員も務めたチャーリー・ポーターは、2021年に著書『What Artists Wear』を刊行。ルイーズ・ブルジョワ、ジャン=ミシェル・バスキア、ヨーゼフ・ボイスから、ライアン・トレカーティンやマルティーヌ・シムズといったデジタルネイティブ世代の作家まで、インタビューなどを通して彼らの装いにフォーカスし、多数の図版とともにアーティストと衣服の関係を解き明かしている。

今回は、その日本語版『アーティストが服を着る理由──表現と反抗のファッション』(フィルムアート社)の刊行を記念して、ファッションエディターとして活動し、現在はIT企業でSNS関連の事業に携わる大平かりんと、ファッションとアートの関係を論じてきた小石祐介が対談。ファッションやアートのイメージが加速的に流通する現代においてアーティストの装いが持つ意味や、その影響力のあり方について語り合った。

『アーティストが服を着る理由』(フィルムアート社) 表紙

アートとファッションの共犯関係

──本書はアーティストの日常的な装いに焦点を当てながら、その背後にあるアートやファッションの業界の構造についても触れています。まずはおふたりが本書をどのように読まれたか、お伺いできますか?

小石祐介(以下、小石) やはりアンディ・ウォーホルやジャン゠ミシェル・バスキアは古びないインパクトがあると思いました。バスキアが面白いのは、1986年にコム・デ・ギャルソンからショーのモデル出演依頼が来たときに、「毎年10万ドルはあの店で使っているからな」と言っていたところですね。現在の物価にすると3000万円くらい使っていたということだと思います。1980年代にアメリカで、その金額をギャルソンで使うのは、ファッションのなかで当時かなり最先端の行為だったはずです。それぞれの時代において攻めた行為をしているかという観点で見てみると、このふたりが面白いですね。そう見たときに、本書の後半に登場する現代のアーティストのファッション性は、いまの時代のファッションの観点から考えるとさほどラディカルではないように感じてしまったのも事実です。

コム・デ・ギャルソン・オム・プリュス1987年春夏コレクションのショーに登場したバスキア。「バスキアのスタイルは、突然有名になるずっと前から形成されていた。オーバーサイズ、不均衡、統制の取れたカオス。コム・デ・ギャルソンは、自分の言語が理解される場だとバスキアは感じていた」(「ジャン゠ミシェル・バスキア」の章より)。以下、図版はすべて『アーティストが服を着る理由』(フィルムアート社)の中面から。

大平かりん(以下、大平) 私は、現代に近づくにつれて、アートとファッションの分断が見えてくるように思いました。ルイーズ・ブルジョワとヘルムート・ラングのようなアーティストとデザイナーの関係性も以前はあったのかもしれませんが、いまはアートとファッションがまったく違う商業分野として存在していて、まさに小石さんが以前論じられていたような、互いに利用しあう共犯関係が強まっている(*1)。個人的には、両者をうまく編んでいるデザイナーとしてジョナサン・アンダーソン(*2)が思い浮かびました。本書にも沢山のアーティストが登場しますが、そのうち複数人とのコラボレーションも行っています(*3)。ロエベでの彼のクラフトマンシップに対するアプローチにも通底する問いとして、大企業がいかにアーティストを搾取せず共創することができるのか、そこにどのようなコミュニケーションがあるべきかは、いま一度見直すべきではないかと思います。

小石 アンダーソンはコレクターでもあり、アート作品を多く収集していますね。アンダーソンにとってアート作品は、服と同じような身体の延長としてあるのではないでしょうか。実際、ファッションとアートは、消費活動という点であまり変わらないと思うんです。現存している服をなんでも買えるほどの経済力があれば、服を買うかのようにアートも買える。昔、1960〜80年代のアメリカのコンテンポラリーアートの重鎮たちのオーラルヒストリーを読んだとき、ファッションに近いかたちでアートが消費されていたんだなと思ったんですよね。みんなが買いたいと思う前のアーティストの作品を買うのが粋、みたいなところはファションに通じるなと。

アーティストのアンシア・ハミルトンが、2018年にテート・ブリテンで発表した5ヶ月にわたるパフォーマンス・インスタレーション《ザ・スクワッシュ》。ハミルトンとアンダーソンが率いたロエベは長年にわたって協働を続け、本作ではロエベがパフォーマーの衣装を制作した。

大平 本書の軸はアーティストの装いですが、ファッションデザイナーの装いも気になるポイントです。アーティストに比べれば、デザイナーは外に出ていく場面も多く、自分の姿が作品やブランドのイメージと密接につながっているからこそ、装いに自分自身の思想を入れ込みづらいという違いがあると思います。アートは生きるためになされる営みであるいっぽう、ファッションには仕事と割り切らなければ成立しない部分がある。アイデアで何かを作って社会に提示するという点で両者は似ているけれど、ある意味で、デザイナーにとってアーティストは羨ましい存在なのかもしれません。だからデザイナーのアトリエに行くと、アートブックが沢山あったり、作品がリファレンスとして貼ってあったりと、アーティストの生き方自体がインスピレーションになっているのを感じます。

小石 ブランドとアーティストのコラボレーションには、アーティストとその作品に紐づいている社会的な立ち位置に近づきたいとか、有名ではない作家を起用することで目利きであると示したいとか、様々なメッセージ性がありますよね。コラボレーションによってコミュニティに接続できる──少なくとも、接続しているように見せることはできる。いっぽう、アーティストにとっては多くの人に作品を見てもらえて、お金にもなるという現実的なメリットがあります。そこに共犯関係が生まれる。ファッションに近づきすぎるとコマーシャルになりすぎるという警戒感もありますが、アートもファッションも人の欲望をかき立てて消費活動でマネタイズしているという意味では同じですよね。誰かに所有してもらうことでものを作り続けることができる。たとえば本書で紹介されるシンディ・シャーマンも、画面のなかのアクション自体にメッセージがあるけれど、実際に売っているのは写真です。ファッションと対比するとアートは財としての面がより強いですが、欲しいと思うかどうかが肝心なポイントという点で似ていると思います。

コミュニティにおける装いの複雑な政治

──本書の後半には中堅・若手世代のアーティストも多く登場しますが、彼らの生活や制作のなかでの装いには、自分のアイデンティティを構成する人種、ジェンダーやセクシュアリティ、階級などへの意識が通底しています。しかし日本では、服装でアイデンティティを表現することに対する距離感があるようにも感じられますね。

大平 ロンドンのモッズやパンクス、アメリカのヒッピーなど、世界では文化に関係するムーブメントに応じた衣服のスタイルがありました。いっぽうで日本の特徴は、特定の主義や主張からファッションが切り離されているところにあると思います。日本は昔から、ある種即物的に様々な海外の文化を集めて取り入れてきた。何かへの反抗になりきらない、特定のコンテクストから解き放たれた軽さが、むしろ強みでもあると思います。

小石 アメリカで本人のアイデンティティ自体が作品の特徴になっているアーティストが多いのは、社会に強い同調圧力があるからかもしれないですね。日本は同調圧力が強いとよく言われますが、アメリカの同調圧力も別のかたちで強力ですから。僕は青森県の三沢市という米軍基地のある街で育ちましたが、アメリカ人がコミュニティのなかで受ける抑圧を間近に見ていました。コミュニティにおいて異端であることのコストは思いのほか大きい。最近だとヨガウェアのような服が流行っていますが、健康的で華美でないことがかっこいいという価値観や、男性がファッションに関心を示すと周囲がセクシュアリティやジェンダーを決めつけるような偏見はまだあります。それにアメリカでは人々が幼少期から、自分が何者なのかを考えなさい、ヒーローでありなさいという教育を受けている。でも実際は、みんながヒーローにはなれないのが現実です。そこで自分の固有の属性みたいなものを記号化し、意味を見出すこと自体が創造になっているように見えます。結果として、そこから生まれるアートも自ずとアイデンティティがポイントになるのかなと。本書にジェンダーやセクシュアリティ、社会的ポジションが作品の鍵になるアーティストが多く登場するのには、こういった社会的背景もあるんじゃないかなと思います。

アメリカを拠点に映像作品を制作するライアン・トレカーティンは、ウォルマートやターゲットといった大型チェーンで作品に使う服を購入しているという。「テルファー」デザイナーのテルファー・クレメンスが出演する作品もある。「私はつねに、「見過ごされやすい」中流階級、平均的アメリカ人、文化のない平凡な男、そして男性性に対するニュートラルな態度……といった、工場出荷時のデフォルト設定の典型を、自分だけのバージョンで体現するような服装に退こうとしているのだと思います」(「カジュアル」の章より)

大平 本書の後半では、そのように自分のアイデンティティと紐づけて制作することの社会的な意味や、ビジネスとしての機能という点で、日本の読者にはわかりにくいところがあるかもしれません。

小石 「カジュアル」の章にもあったように、いまやTシャツとジーンズは労働者階級というより、むしろTPOを無視して生活できる成功者を象徴する装いという一面もあります。元はスーツに対する逆張り的なものだったのに、多くの人が真似した結果、いつしか時代のユニフォームになった。アーティストにとってもカジュアルな服装こそがユニフォームになっているようです。衣服は、言葉や人種、階級をも超えるコミュニケーションの言語であり、それを用いて自分を差別化するためには、周囲とは違う要素をいかに取り入れられるかが重要ですよね。本書で紹介されるジョージア・オキーフも男性服を自分用に仕立て、それをユニフォームにしていました。自らのユニフォームを新しく作ること、あるいは既存のユニフォームを逸脱していくことは、アーティストにとってとても重要な営みだと思います。アートも人の欲望をドライブするものである以上、自分のアイデアがいかに他者に認識されるか、どんな価値を提供できるか、その人が何者であるかが問題になるので。実際、ビジュアルにうまく訴えかけるアートが社会で成功している理由はそこにあるのかもしれないですね。

大平 SNSでは10年ほど前から、コミュニティを作ること自体がトレンド化しています。コミュニティからプロダクトが生まれることも多く、たとえば有名なYouTuberがチョコレートのブランドを作ったり、メルマガからスタートしたコミュニティから化粧品が生まれたり、という流れが一般的になっている。つまりプロダクトが先にあるのではなく、それを届ける先の土壌を耕してから製品化するということです。そんななかでアーティストも、あるコミュニティを代弁しながら、自分のスキルで作れる「素敵なもの」を提供する存在になりつつあるのかもしれません。でも時代が求めているのは、強いアクションを起こせる提言者的なアーティスト像なのだと思います。たとえばゴードン・マッタ゠クラークは短い活動期間のなかで必ずしもアートの枠にとどまらない活動を展開し、コミュニティを引っ張っていった存在でもありました。彼自身はファッションにはまったく興味がなかったようですが、作品にはビジュアル的な強さもあり、いかに自分のアイデアをアウトプットし、コミュニティを導くかという点にはとても意識的だったように思います。

ゴードン・マッタ゠クラークはわずか8年の活動期間で、建築にまつわる作品の制作に加え、アーティスト集団「アナーキテクチャー」やレストラン「フード」などのプロジェクトを展開した。ファッションには興味がなく、彼の「衣服に対する関心は実用的、あるいは社会学的なものだった」(「デニム」の章より)

現代の「インフルエンサー」とは誰か

──ファッションとSNSにはトレンドがどんどん移り変わっていくという共通点があり、そこにアートが参入するような流れもあります。最近のSNSでのカルチャーやトレンドについて、おふたりはどのように見ていらっしゃいますか?

小石 最近、アメリカのカルチャーやポップアイコンは意識的に追わないと視界に入ってこなくなったという実感があります。韓国などのアジア圏もそうですが、欧州のウェイトが上がっていて、アメリカのシェアが相対的に落ちているような気がするんですよね。

大平 これまではアメリカが放送局のように色々なカルチャーを人々に届けていましたが、現在は小さなコミュニティのなかでコンテンツを作ったり見たりすることが一般的になり、かつてのアメリカの役割が失われたというのはあるかもしれません。今年、Instagramのブランドキャンペーンではタイラー・ザ・クリエイター(*4)が起用されました。ファレル・ウィリアムス(*5)と同じように、フィールドを問わず自分の才能を発揮できる人物が求められている。そんななかで最近考えるのは、アメリカのカルチャーアイコンというと何人か思い浮かびますが、日本から世界に向けて発信するときには、どんな人がアイコンになりうるのかということです。

今年公開されたInstagramのブランドキャンペーンより、短編映画シリーズの第1弾「ANYWAY」。タイラー・ザ・クリエイターのほか、ロザリアやフレッド・アゲインが出演している

小石 アメリカンカルチャーの特徴って、世界に届くわかりやすい記号やアイコンに満ちていて、意識せずともそれが生活のなかに入り込んでくるところだと思うんです。たとえば、金正恩がNBAを見ていてシカゴ・ブルズのファンだったりすること。反米国家の生活のなかにすらアメリカのポップカルチャーが入り込んでるのがすごいところですよね。最近はヨーロッパのアーティストのように、ハイコンテクストなアイコンが増えたような気がします。タイラーもどちらかというとハイコンテクストな立ち位置ですよね。本書後半のアーティストもそうかもしれませんが。

大平 いまは日本がアメリカ化していると言えるかもしれません。アメリカの強さがプロダクトとそれを流通させるマーケティング技術にあるとすれば、日本はやはりソフトが強い。海外の人もみんな日本のアニメを見ていて、各地がオーバーツーリズムになっている。「そこにもここにも日本がある」という状況は、私たちが見ていたアメリカ像に近いものがあるのかなと。

小石 確かに。ピカチュウやハローキティが世界中に広がってますね。インフルエンサーの話題が出ましたが、ここ数年では大谷翔平が最強の日本人インフルエンサーだと思っています。最近、都内の百貨店に行くと、アメリカ人旅行者がセイコーの時計を買っているのを見かけます(*6)。これまで日本のファッション界では、三宅一生、川久保玲、山本耀司、藤原ヒロシ、NIGOといった人たちが海外に影響を与えてきました。でもそれはどちらかというと玄人向けで、アメリカのなかでも外国の文化にもともと関心があるような層への限定的な影響力だったと思うんですよね。大谷の場合は、そこまで自国の外に関心がなさそうな普通のアメリカ人が、野球で大谷を見て彼の持っているものを買ったり、日本に初めて関心を持ったりするというレベルで影響を与えているんだなと。野球はマイナースポーツとはいえ、こうしてマスに広がった日本人選手は過去に前例がなかったと思うんですよね。彼がこれまでのアジア人のイメージとはぜんぜん違うのもありますが。大きくてパワフルというのはむしろアメリカ人らしいイメージですから。野球だとイチローが最近殿堂入りしましたが、どちらかというと彼は精神性と技巧がコンセプチュアルで、どこかコム・デ・ギャルソンやヨウジヤマモトが受容された感じに近い気もします(笑)。

大平 球場でのパフォーマンスがテレビで放送され、広告につながる。たしかにオールドメディアで幅広い層に影響を与えるのは、むしろSNS時代には珍しいことになりつつありますね。

アーティストが服を着る理由

──今日はアーティストの装いを切り口に、ファッションとアートの流通や、ポピュラーカルチャーとの影響関係を含めて、様々な角度からお話いただきました。最後にあらためて、「アーティストが服を着る理由」はどこにあると思われますか?

小石 アーティストが服を着る理由は、俗な面では目立つためだと思うんです。「目立つ」と言っても、単純なマスへのアピールというよりは、自分の立ち位置を示すというような意味で、ですが。

大平 「カジュアル」の章ではTシャツの話題もありましたが、私も編集者時代に、コミュニケーションツールとしてのTシャツの特集を企画したことがあります。Tシャツはシンプルな布とパターンだからこそ、メッセージの媒体になり、それを着ることで個性の表現ができるという、ファッションとして革新的な発明だと思います。ただアーティスト自身の装いについては、著者も「アーティストを神格化したくない」と書いている通り、たしかにうまくセルフプロデュースしている人もいるいっぽうで、ほとんどは制作が第一で、服装に関しては無意識な部分が大きいようにも感じました。

カナダ人アーティストのマーク・ハンドリーが、楽曲のタイトルや歌詞をシルクスクリーンでプリントし制作したTシャツ。ハンドリーはヘルムート・ラング、カルバン・クラインとのコラボレーションも行っている。「ハンドリーのTシャツはコミュニティを体現している。それは、その楽曲を愛する人々のコミュニティであると同時に、中年期を迎えたクィアたちのコミュニティでもある。彼らは、同世代の多くの命がエイズ危機で失われた時代に歌詞から心の栄養を得て、前進のための糧にした」(「カジュアル」の章より)

──本書では「機能(的)」がキーワードのひとつになっています。それはもちろん動きやすさや丈夫さなどの実用性を意味すると同時に、セルフイメージを形作ったり、自分の代わりに何かを主張したりする衣服の役割を示す言葉でもあります。

小石 セルフプロデュースがうまいアーティストの作品が売れているという事実はあると思います。ジェフ・クーンズやダミアン・ハースト、そして村上隆は、外に出ていくときの服装をかなり狙って選んでいますよね。定義によっては、セルフイメージを作るということもひとつの機能だと言えると思います。

大平 「服に付いた絵具」の章では、フランシス・ベーコンが、絵具にまみれた姿は写真に撮らせなかったというエピソードがありました。ベーコンはマークス・アンド・スペンサーの現存しない衣料品ラインのパンツを履いていて、靴はチャーチ製だったという話も面白かったです。もし当時SNSがあったとして、チャーチはタグ付けするけど、マークス・アンド・スペンサーはしないと思うんです(笑)。SNSはリアルに見えるフィクションでしかないんですよね。「これが欲しい」「こうありたい」という欲望に訴えかけるツールであって、現実だったらいちばん気になる部分がスルーできてしまったりもする。それでも10年前は「ネットはコンテンツの海だ」というような見方がある程度有効でしたが、いまはアルゴリズムの進化によって、自分に最適化された情報だけに囲まれ、その海を泳ぐことすらできなくなっている。そういう意味では、過去のアーティストがインターネットのない時代から情報の海を漂って見つけた「自分らしさ」のようなものに惹かれるところがあります。もちろん現代のアーティストは作品以外についてSNSで発信することもあり、そこから何かを選ぶ理由やこだわりが見えてくると、一気に親近感が湧きますね。

小石 本書に登場するアーティストのセルフイメージ、「自分らしさ」で言うと、やはり「デニム」の章のウォーホルは印象的でした。ホワイトハウスでの晩餐会に呼ばれたとき、意地でもジーンズを履きたいからタキシードの下に履いて見せびらかしていたというエピソードはまさにファッションだなと思ったし、この俗っぽさ、ちょっとバカな感じが彼の強みだなと改めて感じました。私たちももっとバカにならないとだめですね(笑)。

大平 絵具まみれで床に溶け込んだビルケンシュトックや、スタジオの寒さから身を守るためのキルティングなど、制作の過程を垣間見られるアイテムもありましたね。私たちにとってアーティストはある種のブラックボックスで、作品を見るだけだと本人のことはわからないし、話していても断片的にしか理解できないこともある。そのなかで彼らが着る服には、生活における選択の基準のようなものが現れています。そこを計算している人もいれば、あまり気にしていない人もいる。本書ではそのグラデーションを知ることができて、アーティストたちへの興味をより一層かき立てられました。

アンディ・ウォーホルは「アーティスト」として歩みはじめた1960年代からジーンズを着用し、それが晩年まで彼のユニフォームになった。「生涯の終わりまで、ウォーホルはリーバイスを履き、リュックサックを背負って街を歩いた。超有名人になっても服装はふつうだった」(「デニム」の章より)

*1──https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/art_and_fashion
*2──2008年に自身のブランド、ジェイ ダブリュー アンダーソンを設立。2013年から今年3月までロエベのクリエイティブ・ディレクターを務め、4月にディオールへの移籍が発表された。
*3──トム・オブ・フィンランド、ギルバート&ジョージ、デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ、アンシア・ハミルトン、ポール・テックなど。
*4──ラッパー、プロデューサー。2011年に自身のブランド、ゴルフ ワンを設立した。
*5──プロデューサー、歌手。2023年にルイ・ヴィトンのメンズ・クリエイティブディレクターに就任。日本人デザイナーのNIGOとも親交が深い。
*6──大谷翔平は2016年からセイコーウォッチのイメージキャラクターを務める。

◆プロフィール
小石祐介

株式会社クラインシュタイン代表。東京大学工学部卒業後、コム デ ギャルソンで数々の企画を担当。独立後、現在はパートナーのコイシミキとともにクラインシュタインとして、国境を超えた対話からジェンダーレスなユニフォームプロダクトを発信する「BIÉDE(ビエダ)」のプロデュース、スロバキア発のスニーカーブランド「NOVESTA(ノヴェスタ)」のクリエイティヴディレクションをはじめ、国内外のブランドのプロデュースやコンサルティングなどを行う、また2025年より南青山にてショップ「STEIN BOX」を運営中。2017年8月には、70年代のイギリスのパンクカルチャーの先駆けであるJOHN DOVE AND MOLLY WHITEによる日本初の個展『SENSIBILITY AND WONDER』(DIESEL ART GALLERY)のキュレーションを行うなど、アートとファッションをつなぐプロジェクト、キュレーション、評論・執筆活動も行っている。

大平かりん
東京生まれ。フリーランスとして雑誌「GINZA」やWEB「ginzamag.com」「BRUTUS.web」、そのほか広告のプランニングや制作に携わる。2022年にIT企業入社。プラットフォームを活用するクリエイターの支援に加え、ファッション、エンターテイメントなど様々な業界との協業プログラムの企画・実施に携わる。

◆書籍情報
『アーティストが服を着る理由──表現と反抗のファッション』
チャーリー・ポーター=著 清水玲奈=訳
フィルムアート社
2025年8月27日発売/2,800円+税/ISBN: 978-4-8459-2404-2
https://www.filmart.co.jp/books/978-4-8459-2404-2/

フィルムアート社

フィルムアート社

1968年、雑誌『季刊フィルム』の創刊を契機に創立。以後、映像・アートを中心に、文化へのクリティカルな視点をもった書籍を発行する。