パク・チャヌク
「ひょっとすると、これはパク・チャヌク監督にとってもっとも商業的な映画になるかもしれない」俳優イ・ビョンホンは、脚本を読み終えてすぐにそう思ったという。
映画『しあわせな選択』は、『オールド・ボーイ』(2003)や『お嬢さん』(2016)、『別れる決心』(2022)などで知られる韓国の名匠パク・チャヌクが手がけた異色のエンターテインメント。突如失業した主人公マンス(イ・ビョンホン)が、愛する妻や子供たちを守り、理想の生活を取り戻すため、再就職のライバルを排除しようと目論むブラックコメディだ。
本作の英題は『No Other Choice』すなわち「仕方がない」という意味。この言葉どおりにマンスは己を正当化し、ときには転げ回るほど必死に目的へと突き進む。残酷で不条理な物語を、全編に充満したエネルギッシュでバカバカしい“笑い”が包み込んだ。
世界情勢が緊迫し、人々の生活が困窮の一途をたどるなか、パク・チャヌクはなぜコメディ映画に挑んだのか。来日した本人に尋ねた。
原作はアメリカ人作家ドナルド・E・ウェストレイクの犯罪小説『斧』。その独創的なストーリーに惹かれたパクは、10年以上にわたり映画化を熱望してきた。
「原作を読んだとき、コメディとしてのポテンシャルがあると直感し、その可能性を開花させたいと思ったんです。マンスの選択や行動が、いかに無謀かつ愚かで、また不合理なものかを強調する喜劇にしたいと思いました」
小説の静かで不条理なユーモアを、パクは映画ならではの活発なコメディに変換している。登場人物が奇妙な状況に置かれるシチュエーション・コメディ風の笑いや、妻のミリ(ソン・イェジン)をめぐるスクリューボール・コメディめいた軽妙なタッチだ。
なかでも重責を担ったのは、身体を張ったコメディ演技で新たな一面を見せたイ・ビョンホンだ。パクは、平凡なサラリーマンであるマンスを「殺人の初心者」と呼ぶ。「彼が右往左往し、うろたえ、ためらい、不器用に人を殺そうとするところから“コメディ”が生まれるのです」

しかしながら、あのパク・チャヌクがただ気楽に見られるコメディを作るはずがない──。
「映画における“笑い”には、ときに怒りや憎しみといったネガティブな感情を和らげ、観客を安心させるような機能があります。けれども私が目指したのは、そういうものではなく、むしろ映画をさらに鋭く尖らせてくれる“笑い”でした」
小説を映画化するにあたり、パクは物語上の要素をいくつも拡張している。なぜなら原作が発表された1997年当時より、現代のグローバル資本主義はさらに苛烈なものとなったからだ。失業者が生活を維持することはより困難に、マンスのような立場の人間が受けるプレッシャーはより大きくなっている(彼らは節約のため、Netflixすら解約しなければならない)。

また、アメリカから韓国へ舞台を変更したことで、家父長制の痕跡が残る韓国社会のリアリティも作品の背景に刻み込まれた。パクは海外メディア(*1)のインタビューで、「マンスが味わう“男らしさ”の問題には韓国の文化が影響しています。“ひとりの男として、夫として、父親として、責任を取るためならばなんでもする”という考え方です」とも話している。
脚本を書きながら、映画のトーンを確信した場面があったという。息子のシウォンがある事件に関与して警察へ連行されるシーンで、マンスは息子の肩をつかみ、「お前は巻き込まれたんだろう?」と口にするのだ。「どうして僕が巻き込まれるの?」という息子に、 人知れず殺人に手を染めているマンスは言う。「ひとりで罪を犯すのは孤独で怖いことなんだ……パパにはそんな気がする」
執筆当時をパクはこう振り返る。「マンス自身は(罪を犯す恐怖について)確信に満ちているにもかかわらず、息子から変に思われるのではないかと思い、とっさにごまかすのです。このセリフを書きながら、『面白いな、こういう映画になるんだな』と感じました」
