NY拠点の松山智一が、米国で個展「Morning Sun」を開催中。彼を魅了するエドワード・ホッパーやその作品の解釈と、オマージュへの思いとは?

ニューヨーク州のエドワード・ホッパー・ハウス美術館にて、個展「Tomokazu Matsuyama: Morning Sun」が開催中の松山智一。アメリカを代表する画家エドワード・ホッパーにかねてより敬意を抱いてきたという松山に、新作やホッパーへの思い、自身の在り方などについて話を聞いた。

松山智一 東京・六本木のKOTARO NUKAGA前にて 撮影:石川博也

ニューヨーク在住のアーティストが、ホッパーの生家で個展を開催

 弘前れんが倉庫美術館での「松山智一展:雪月花のとき」(2023年10月〜2024年3月)、そして、今年3月から5月にかけては麻布台ヒルズ ギャラリー「松山智一展 FIRST LAST」が開催。日本国内で大規模な展覧会が続き、広く話題となった作家が、ニューヨーク在住の松山智一だ。

現在はニューヨーク州のエドワード・ホッパー・ハウス美術館で個展「Tomokazu Matsuyama: Morning Sun(トモカズ・マツヤマ:モーニング サン)」が開催中で、この展示には米国のアート界からも熱い視線が注がれている。

エドワード・ホッパー・ハウス美術館

エドワード・ホッパー・ハウス美術館は、文字通り、アメリカを代表する画家エドワード・ホッパーの生家であり、初期の創作活動を行った場所でもある。2017年に美術館としてオープンした。

 「この美術館は、高層ビルが立ち並ぶマンハッタンから50kmほど離れたナイアックと呼ばれる地域にあります。アーティストが多く暮らすエリアで、夏になると、マンハッタンのウェストビレッジにあるホイットニー美術館から、自転車で片道3時間ほどかけて日帰りで訪れるプログラムが実施されるほど、小さいながらも多くの人に愛されている美術館なんですね。ちなみにエドワード・ホッパー・ハウス美術館とホイットニー美術館は提携関係にあります」

エドワード・ホッパーの暮らした家の面影を残す美術館内

建物は、竣工から100年以上にもなる一般的な木造家屋でありながら、アメリカのアート界に多大な影響をもたらした作家が生まれ育った家だと思うと感慨深いものがあると松山は話す。

 「ハドソン川にほど近い丘の高いところにあって、ここを訪れるとエドワード・ホッパーの生い立ちや暮らしぶりが見えてきますし、なぜ彼が光に影響を受けたのかがわかるような素晴らしい家なんです。美術館としては、彼に影響を受けた作家たちが1年間に数名、展覧会を開催する、とてもユニークなニューヨークらしい場所だと思います」

 松山にとっても思い入れのあるアーティストゆかりの美術館で行われている個展「Tomokazu Matsuyama: Morning Sun」。日本人初となるこの場所での開催に至ったきっかけは、エドワード・ホッパー・ハウス美術館のディレクターが松山のスタジオを訪れたことだった。

 「もともとエドワード・ホッパーのことは好きでしたが、2023年にソウル市立美術館で開催されたエドワード・ホッパーの回顧展『エドワード・ホッパー:フロム シティ トゥ コースト』を鑑賞した際に、その素晴らしさをあらためて実感したんですね。そして、そこからインスピレーションを受けた作品《Morning Sun Dance》を制作中に、エドワード・ホッパー・ハウス美術館のエグゼクティブ・ディレクターであるキャスリーンが僕のスタジオを訪れたのです。作品のコンセプトなどを彼女に伝えると、『うちで見せたい』という流れになり、そのまま今回の開催が決定しました。それが今年1月2日のことです」

奥に見えるのが、エドワード・ホッパーの《モーニング・サン》(複製)

具象画家エドワード・ホッパーに見る、カラーフィールド・ペインティング的要素

展覧会のメイン作品は《Morning Sun Dance》。この作品は、エドワード・ホッパーが1952年に制作した《モーニング・サン》への現代的なオマージュとして制作された。

「ホッパーの作品をじっくり見ると、画家として見えてくるものがいろいろあるんですね。ホッパーは、とくに晩年の作品になると光と影しか描きたくなかったのではと思われるくらい、光に影響を受けていることがわかります。彼の代表作と言われるのが、夜のダイナーを描いた《ナイトホークス》ですが、僕は朝日を描いた作品のほうがホッパーの凄さを感じます。

彼が活躍していた1950年代は、抽象表現がアート界を席巻し、アメリカの美術が生まれ変わろうとしていた時代。にもかかわらず、彼は具象作家でした。でも、この《モーニング・サン》をよく見ると抽象絵画の様式のひとつであるカラーフィールド・ペインティングを想起させ、まるでマーク・ロスコのよう。《モーニング・サン》から人物や建物を除くと、完全に抽象絵画の表現が用いられていることがわかります。背景の色には様々な補色をのせていて、色彩学的にものすごく美しく描かれているのです」

松山智一 Morning Sun Dance 2025  198.12×251.46cm キャンバスにアクリル絵具、ミクストメディア  Courtesy of the artist

松山は、エドワード・ホッパーの魅力は一般的に言われているような暗いダークなイメージではないと話す。

「じつはカラリストでもあり、明るい色を使ったときのほうが彼の持ち味が出ていると思います。しかも、たんなるカラリストにとどまりません。抽象表現が誕生した同時代を生きた彼は、カラーフィールドという新たな抽象表現の感性を自身の絵画空間に響かせつつ、具象としての風景画をあくまで彼独自の感性で描き続けた。僕はその原理を自分の絵のなかで現代に置き換えようと思いました。ホッパーの作品を見ると、アイロニーや都市生活者の孤独など、悲しさのなかに儚さがある。そうした要素を読み取って、カラーフィールドの空間性を意識して制作した作品が《Morning Sun Dance》です」

《Morning Sun Dance》では、2匹の犬や雑誌の『プレイボーイ』、パスタの箱など孤独を感じる現代の装置が散りばめられたアメリカの郊外での生活の中に、女性がひとりポツンと座る姿が描かれている。それが松山からホッパーへのオマージュであり、エドワード・ホッパー・ハウス美術館のディレクターも、まさにホッパーの心理をついていると賞賛した。

松山と《Morning Sun Dance》

展示会場では、この《Morning Sun Dance》が天井高にぴったり収まり、独自の空間性をもたらしている。

「空間と作品の親和性や対話性という意味では、会場がホッパーが住んだ家という時点で、僕にとっては静かな共鳴を感じる体験でした。館内にはホッパーの小さい作品や幼少期に書いたメモなどが爪痕のように残されていたので、その中に作品を置くことで、憧れる作家のひとりとして、ホッパーとの対話を思い描きながら空間を構成しています」

オープニングの様子。多くのアート関係者が来場した

展覧会に対する現地での反響も大きく、たとえば、この夏、見るべき展覧会のひとつに選出されるなど無数のアートメディアでこの展覧会のことが紹介されている。内覧会を兼ねたオープニングイベントも盛況で、これまでエドワード・ホッパー・ハウス美術館で行われた展覧会のオープニングの中では、もっとも多くの人数を集めたという。

 「思っているよりも強い影響力を持っている美術館だからね、と事前に言われてはいましたが、予想以上のリアクションをいただいています。ニューヨークに20年以上暮らしていますが、アートコミュニティとの新たな接点を得る機会となりました」

個展では、《Morning Sun Dance》以外にも松山の絵画やドローイングが展示されている

今後、松山の展覧会は、ジョージア州サバンナの「SCAD ミュージアム・オブ・アート」をはじめとする欧米圏での開催が続く。さらにアーカンソー州ベントンビルにある「クリスタル・ブリッジズ ミュージアム・オブ・アメリカン・アート」では、松山の設計による専用の空間でパーマネントコレクションとしての作品展示も予定されている。とくにこの2年間では、松山の作品をコレクションに加える欧米圏の美術館が、1年におよそ10館ずつ増えていると松山は話す。

「僕の作品は、これまでどちらかというとカラフルでポジティブなイメージを伝えるものが多かったのですが、コロナ禍以前はシリアスな作品として受け止めてもらえず、それに対するジレンマがずっとありました。コロナ禍以降は、美術館のキュレーターの視点が変わった印象があり、それが展覧会のオファーや収蔵作品の増加につながっていると思います」

“アメリカ美術”のアーティストであり、新しい日本人アーティストとして

こうした松山の作品に対する周囲の変化は、日本でも起こっている。

 「僕は美術作家として、最初から海外で活動することを意識してきました。ただ、作家としての基盤が海外にあり、グローバルを意識して作品を作ることが、日本の慣習や文化的背景のなかでは難しさがありました。日本はハイコンテクストな文化土壌があり、作品はある種、わかりやすさよりも抽象的・暗示的な表現が尊重される傾向があります。僕はニューヨークで25歳から独学でアートを始めたため、なかなかそれを自分の表現感覚に結び付けることができなかった。それを解消したい気持ちがずっとありました」

いまでもそれが解消できたのか、そうでないのかはわからないと話す松山。ただ、弘前れんが倉庫美術館での展覧会の開催を機に、作品に対する日本国内の反応も少しずつ変わっていったと感じている。

「この2年で僕の作品も目まぐるしく進化させることができて、麻布台ヒルズ ギャラリーでの展覧会では、ようやくバランスよくグローバルな感覚を日本で語っても大丈夫という手応えを感じました。あの展覧会は、自分が大好きな日本に受け入れられるきっかけになったんじゃないかなと思います」

アメリカの美術の歴史の中で、いままでになかった日本人作家としての位置付けが少しずつ見えてきたという松山 撮影:石川博也

松山は、これから新しい流れが美術のなかで絶対に生まれてくると話す。

「僕はマルチカルチュアリズム(多文化主義)のような考え方はなくなると思っています。すでにアメリカのいくつかの美術館では、作品に作者の国籍を記載していません。そもそも複数の国や地域にルーツを持つ人が多いですし、国籍を書くことで人にフィルターをかけてしまうからです。つまり、これからは作者の出自よりも、作品の中に様々な見方ができることのほうが、より重要性を帯びるのではないかと思っています。

僕はアメリカで24年間活動を続けてきましたが、いまではアメリカにおける“新しい声”として作品が受け入れられ、アメリカ美術の文脈のなかで語られる“新しい日本人アーティスト”として位置付けられるようになってきたと感じています。僕の作品はポップというカテゴリーで見られることもあるし、アジアではレガシーや伝統的な考え方と結びつけて語られることもあります。僕のほうからアメリカの様式にアダプトするのではなく、作品を見る側が、僕がいままで作ってきた言語を翻訳してくれて、それを様々なことにアダプトしてくれるという意味では、アメリカのアートのひとつの言語として見てもらえるようにやっとなれた感じがします」

そして、日本人に限らず、アメリカのなかで“アメリカン・アート”だと見られる作家は、歴史上それほど多くないと思うと話す松山。

「自分が少しでもそれを獲得できたのであれば、そこに対しての全責任を取りたいと思っています。今後はアメリカ国内をはじめ、欧米圏やアジアで展覧会を継続的に行って、歴史と対話しながら、現代性を持った作家として活動していきたい。同時に日本と距離を置くのではなく、日本国内でも“日本人作家”という見方をしてもらえたら嬉しいです」

日本人として、これまでにない立ち位置で世界と対峙する作家、松山智一。その動向に、いま、世界が注目している。

松山智一 
まつやま・ともかず 1976年岐阜県生まれ。日本とアメリカの文化にまたがる自身のバックグラウンドをもとに、東西の美学を融合させた独自のスタイルを確立。伝統的な図像をグローバルな文脈へと再配置することで、文化的枠組みを軽やかに越境し、「親しみのあるローカルとグローバルの衝突」というテーマに向き合い続けている。作品はナショナルとパーソナル、均質性と混沌のあいだに揺らぐ現代社会を映し出し、観る者の文化的認識に揺さぶりを与える。主な展覧会に、麻布台ヒルズ ギャラリー(東京)、フォンダシオン ルイ・ヴィトン(フランス/パリ)、ヴェネツィア・ビエンナーレでの個展、龍美術館(上海/重慶)、HOCA財団(香港)、シドニー現代美術館、ハーバード大学(米国)など。作品は、ロサンゼルス郡立美術館(LACMA)、アジア美術館(サンフランシスコ)、ペレス美術館(マイアミ)、ドバイ王室、バンク・オブ・シャルジャ、マイクロソフト・コレクションなどに収蔵されている。現在はニューヨーク・ブルックリンを拠点に活動する。

「Tomokazu Matsuyama: Morning Sun」
会期:2025年6月20日~10月5日
会場:エドワード・ホッパー・ハウス美術館
開館時間・チケット・詳細につきましては、以下HPを参照ください。
https://www.edwardhopperhouse.org/tomokazu-matsuyama.html

石川博也

石川博也

編集者、ライター、構成作家、フォトグラファー。『Pen』『CREA』『AERA STYLE MAGAZINE』『GOETHE』『T JAPAN』などの企画編集・執筆をはじめ、広告媒体の企画・編集・コピーライティング、番組の構成など。ダガヤサンドウの名付け親。静岡県掛川市出身。