会場風景より、《スピリッツの3乗》(2020)
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東京都現代美術館では作家初のミッドキャリア回顧展となる「笹本晃 ラボラトリー」が開催中だ。会期は8月23日〜11月24日。担当学芸員は岡村恵子。
笹本晃は1980年生まれ。2000年代半ばからニューヨークを拠点に活動しており、パフォーマンス、ダンス、インスタレーション、映像など、自身のアイデアを伝えるのに必要なメディアを横断的に用いてきた。その作品は国内外の主要な国際展や芸術祭でも何度か紹介されていたが、今回はキャリア序盤の作品から最新作まで、その変遷を辿ることができる。
自ら制作したインスタレーション内にて、私小説的な語りを交えた即興パフォーマンスを行うスタイルで知られる笹本だが、近年は、パフォーマンスを含まないキネティック(動的)な作品を発表する機会も増加している。たとえば、2022年のヴェネチア・ビエンナーレに出品された《Sink or Float》はその代表例であり、本展では、同作品と同時期に作られた別バージョン《Social Sink Microcosm(流し台で社会の縮図)》(2022)が紹介されている。
このような作風の変化の背景を尋ねると、「超つまらないことを言うと、本当はパフォーマンスもしたいけど忙しすぎるから。生計も立てないといけないので時間がなくて(笑)」と笑いを交えながら話す笹本。世界各地に活躍の舞台が広がり、必ずしも自分が会場にいられない現在は「生活にかかる負荷」から作品が生まれることもあるそうだ。
また、作家が学生時代に出会ったポストモダンダンスの思想にも、作品を解釈するためのヒントがありそうだ。
「私はいわゆるバレエのようなキッチリしたダンスを経験したことがなくて、ダンサーの動きの癖や習慣を利用した振付を大学で学んでいました。こうした手法は、1970年〜80年代のポストモダンダンスの考え方にその影響源があります。いま私がモノの動きや特性を考えて作品を作っていることにも、そうした経験が反映されているのかもしれません」(笹本)
展覧会は、過去の主要なプロジェクトとその関連作品が時系列順に並ぶように構成されている。インスタレーションや彫刻はもちろん、映像や、パフォーマンス中に描かれる「ダイヤグラム」と呼ばれる図なども紹介。パフォーマンスと造形表現というふたつの世界を行き来してきた、キャリアの全体像が示された。担当学芸員の岡村は展示内容を考えるうえで、パフォーマンスという表現手法を美術館でどう展示するかについて検討を重ねた、という。
最初の展示室で紹介されている1枚の写真は、キャリアの起点として位置付けられるパフォーマンス作品《cooking show(クッキングショー)》(2005)のいち場面。料理を作る手元のみが手前で大きく映されるという料理番組の構図が、遠くから長いナイフを使って果物を切る笹本によって、デフォルメされながら強調されている。
キャリアの初期、笹本はニューヨークの劇場を舞台に、領域を異にする友人たちと組織したコレクティヴで活動を行っていた。《Secrets of My Mother’s Child(母の娘の事実)》(2009)は劇場で行ったパフォーマンスで制作した彫刻群を、グループ展の一環として再展示したもの。そこでは2回のパフォーマンスも行われている。劇場やホワイトキューブなど、場所にとらわれず作品をひらく試みは、のちの「パフォーマンス/インスタレーション」というスタイルへの到達を予告しているかのようだ。
同作品は、笹本の数学というバックグラウンドを顕著に感じる作品でもある。彫刻《X×Y=1》(2009)の脚から伸びる4本の紐は、数学のX軸/Y軸に見立てられており、パフォーマンス中は、人と人との距離(X軸)と、両者間における緊張(Y軸)が反比例し、漸近線を描くという語りが展開される。このような数学の概念は、その後も作品の重要な構成要素として登場する。
次のフロアで展示されているのは、《Skewed Lies(ねじれた嘘)》(2010)。新人アーティストの発掘を目的とする展覧会「グレーター・ニューヨーク」に選出された際に作られた作品だ。小学校の地下ボイラー室にある廃材を素材としたインスタレーションを舞台に、「いかに蚊が嫌いか」という語りからパフォーマンスがスタート。コミカルではあるが非ドラマ的、そしてどこか神経質という、作家のスタイルが感じられる。また、中央に配されたふたつのパイプは、数学でいう「捻れ」の位置になっており、初期から継続的に数学の概念を参照していることも確認できる。
何度か再演が行われている同作品だが、それらにひとつとして同じ形態はない。笹本がパフォーマンスごとにキッチンペーパーに描くドローイングは、その反復と差異の痕跡を示すものだ。現在その図(ダイヤグラム)は樹脂で固められ、作品として展示されている。
数学者・気象学者のエドワード・N・ローレンツによるローレンツ方程式(この方程式は、担当学芸員ですら理解しきれないと話すほど難解な概念である)と、作家が当時ハマっていたドーナツを着想源とした《Strange Attractors(ストレンジアトラクターズ)》(2010)、バーのような空間でビール瓶を片手にした観客が、次第にパフォーマンスへと巻き込まれていく《Wrong Happy Hour(誤りハッピーアワー)》(2014)など、主要な「パフォーマンス/インスタレーション」作品を目撃できることは本展の大きな見どころだ。インスタレーションは、パフォーマンスに思いがけない展開をもたらす「譜面(スコア)」でもあるが、空間内のオブジェクトとその配置は、第三者である私たちにも行動や考えをうながす。
いったいこれはインスタレーションなのか、舞台装置なのか? パフォーマンスとインスタレーション、そのどちらに主体があるのか? そもそもなぜこのオブジェクトはここにあるのか? こうした疑問を鑑賞者に付し、パフォーマンスやインスタレーションというジャンルを枠組みごと問い直すことこそ、笹本作品の真骨頂だ。
なお、会期中はアーティストによるパフォーマンスも実施予定。対象となる作品は全部で4つ。演目などの詳細は公式ウェブサイトをチェックしてほしい。次回開催は10月10日~13日、11月6日~9日。
展覧会の後半から紹介されるのは、冒頭でも紹介した新しい表現動向の一部だ。《スピリッツの3乗》(2020)は、弘前れんが倉庫美術館のコミッションとして制作された作品。もともとシードル(りんご酒)の醸造場だった同館の建築をリノベーションする際に出た廃材、古い窓やハシゴなどを素材としたインスタレーションが、東京都現代美術館の空間に合わせて再構成されている。
学芸員の岡村は「近年の作品では、コンセプトや作品に込められたメッセージのプレゼンテーションを、インスタレーションに託すような試みがなされている」と指摘。部屋に張り巡らされた工業用のダクト、部屋の隅に配されたファン、部屋に吹く風、回り続けるグラスなど、この空間に散りばめられた諸要素は、それぞれが新たな関係性を生み出す。
展覧会の最後のフロアに展示されているのは《Sounding Lines(測深線)》(2024)と、《Catch or Be Caught(とるかとられるか)》(2025)。バネにくくりつけられたカラフルな魚のルアーや、漁に使われる四角錐のトラップがゆらゆらと浮かび、水面に見立てられた同館の天井へと連れ去られてしまうような感覚が喚起される。
「この魚(ルアー)はそれぞれが私の知人を模しているのですが、そもそもこの作品の起点となったのはバネの動きです。スタジオで、バネを用いた波や振動に関するリサーチを進めるなかで、より広いところでこの動きを展開してみたいと思いました」(笹元)
「パフォーマンスとインスタレーションは、その時の気分や展示する場所によって(組み立て方が)変わります。劇場ならモノよりも身体が先行することもありますし、展覧会の場合はモノに(作品のメッセージを伝えることを)任せてしまうこともある。《Sounding Lines(測深線)》はバネの動きが重要な作品なので、私のパフォーマンスは注釈のような役割を果たしますが、《Wrong Happy Hour(誤りハッピーアワー)》のようにインスタレーションが舞台装置のような役割を果たすこともある。色々な方法があって、それを楽しみながら作品を作っているので、(今回パフォーマンスを行うときは)どうしようかなと思っています」(笹本)
はたしてこの美術館という空間で行われる過去作品の再演は、アーティストにどのような動きや語りを呼び起こすのか。展示のみで楽しめるのはもちろんだが、ぜひ作家本人によるパフォーマンスも目撃したい。
井嶋 遼(編集部インターン)