公開日:2025年9月19日

「諏訪敦|きみはうつくしい」(WHAT MUSEUM)レポート。母の死をきっかけに到達した新境地とは?

最新作《汀にて》など、初公開の約30点を展示。会期は9月11日〜2026年3月1日

諏訪敦 mother / 23 DEC 2024 死者はいつも似ている 2024

約30点の初公開作を含む大規模個展

東京・天王洲のWHAT MUSEUMで画家・諏訪敦の個展「諏訪敦|きみはうつくしい」が開催されている。会期は2026年3月1日まで。

現代日本の絵画におけるリアリズムを牽引する諏訪敦(1967〜)。徹底した取材をもとに、卓越した描画技術で対象に肉薄する作品を手がけており、近年は戦争で亡くなった人々や、神話や古典文学の登場人物といった不可視の存在を描くリサーチプロジェクト型の絵画制作にも取り組んでいる。

諏訪にとって約3年ぶりの大規模個展となる本展では、ヌードと頭蓋骨を組み合わせた初期作品や、亡き人々を遺族からの依頼で描いた肖像画、諏訪自身の家族を見つめたシリーズなど、代表作から最新作まで約80点を展示。うち約30点は、本展のために制作された静物画など初公開作品だ。展示構成は宮本武典(東京藝術大学准教授/アーツ前橋チーフキュレーター)が手がけ、最新の大型絵画《汀にて》(2025)を中心に、そこに至るまでの画業の変遷を多角的に紹介する。

左から宮本武典、諏訪敦

リアリズムの矛盾との向き合い

本展は諏訪敦という画家のパブリックイメージを提示することから幕を開ける。精緻なリアリズムで知られる諏訪だが、第1章のタイトル「どうせ何も見えない」が示すように、そこには根深い矛盾が宿る。

会場風景

ここでは花、果物、豆腐など壊れやすいモチーフや、清廉な印象の水や光、人間や獣たちの瑞々しい肉体が、緻密なタッチで描かれている。これらのモチーフは本来、時の移ろいのなかで腐り、濁り、老いていく定めにあるものだが、諏訪の手によって絵画に写し取られることで、かえって死の気配を濃密に漂わせている。

諏訪敦 Untitled 2007

「写実的に描けば描くほど、時間を止めれば止めるほど、同時に死というテーマも深く描かれてきますので、諏訪さんは『死を描く画家』というイメージの強い作家だと思います」(宮本)

「どうせなにもみえない」という言葉は、2011年に諏訪市美術館で開催された個展のタイトルにもなった諏訪の呟きである。官能的な裸像と頭蓋骨の対比が示すように、「どんなに表面をなぞっても本質には触れられない」という写実の虚構性を自ら暴露しつつ、それでもなお見えない内面を描こうとする諏訪のパラドクシカルな制作姿勢を表しているという。

左:諏訪敦 東と西 2015 右:諏訪敦 不在 2015

絵画を通して死者に出会う

第2章「喪失を描く」は、諏訪の代名詞とも言える「死者の肖像」プロジェクトを紹介している。2008年に海外で事故死した女性の肖像画《恵里子》の依頼制作をきっかけに、諏訪は「絵画を通して死後の人に出会う」という特異なスタイルを確立させた。ここで展示されているのは、国際ジャーナリスト山本美香さんの肖像をはじめとする亡き人々の姿である。

本展が初公開となる《正しいものは美しい》は、夭折した青年を描いた肖像画であり、「また息子に会いたい」という遺族の依頼に応じて制作された。とくに注目してほしいのは諏訪の徹底した制作手法だ。たんに写真を模写するのではなく、青年の両親や弟妹をデッサンし、似た体格の男性の体を石膏で型取りするなど、取材と習作を重ねて残された人たちの記憶のなかにいる姿をとらえようとする。このプロセスを通して、青年の面影を絵の中に召喚していくのだ。

このような制作姿勢は、第1章で自ら発していた「どうせなにもみえない」というシニカルな言葉への応答であり、亡き人々への眼差しはやがて、諏訪自身の家族に向けられていく。

諏訪敦 Campanilla 2008

家族史を描いたシリーズ

府中市美術館の「眼窩裏の火事」展(2022〜23)で話題となったシリーズを中心とした第3章「横たえる」では、ハルビンの難民収容所で病死した祖母から、父、そして昨年末に亡くなった母まで、諏訪自身の家族の死と向き合った作品群が展示されている。

諏訪敦 依代 2017

終戦直後、満洲開拓団だった親族がたどった悲劇を、長期にわたる現地取材をもとに描いた代表作《棄民》は、国家間の戦争の記録と、その戦禍に翻弄された無名の人々の記憶が交差する新たな戦争画の視点であり、諏訪のリアリズムのひとつの到達点と言える。本展では《棄民》に関連する作品群から《依代》(2017)、《HARBIN 1945 WINTER esquisse》(2015〜16)ほか、3作品を展示。

会場風景
諏訪敦 father 1996 佐藤美術館所蔵

展示空間に入ってすぐ目に飛び込むのは、病室の父の姿を描いた《father》(1996)というタイトルの大型絵画。父が亡くなるまでの時間を、息子と父親の関係という視点から、父の死を正面に見据えて描いた作品である。

また諏訪は昨年12月に母親を看取り、自身の家族史のシリーズに母子の最後の時間を描き加えている。病床の母を描くことで、諏訪はコロナ禍を境に失っていた「人を描くこと」への意欲を徐々に回復させるが、いっぽうで深い葛藤とも向き合うことになる。

左:諏訪敦 mother / 23 DEC 2024 死者はいつも似ている 2024 右:諏訪敦 mother / 16 DEC 2024 2024

「亡くなって静物にならなければ母を描けなかった。自分は結局、死しか描けないのか?」という諏訪の問いからは、リアリズムの極限への苦悩が伝わってくる。とくに印象的なのは「人物画でも、静物画でもない。汀にある絵、と言えるかもしれない」という壁に書かれた言葉だ。横たわって止まってしまった人間は、果たして人物なのか静物なのか。この根本的な問いが、最新作《汀にて》への展開の伏線となっている。

会場風景

コロナ禍で探求した古代神話

続く第4章「語り出せないのか」では、諏訪が本展のために新たに手がけた静物画を紹介。コロナ禍により従来の取材やモデルを用いた制作が制約されるなか、諏訪は自宅アトリエにて、母親の介護と並行して静物画の可能性を探求していた。

制作空間にあった医療用のステンレスワゴンには頭蓋骨や草花とともに、豆腐、蚕、タロ芋といった一風変わったものが並べられている。これらは古代ギリシャ・ローマから連綿と続く西洋静物画の伝統では見ることのないアジア的な素材だ。

会場風景
諏訪敦 肉叢 2025

諏訪が着目したのは「食物穀物起源神話」と呼ばれる世界各地の伝承である。インドネシア・セラム島の女神の名に由来する「ハイヌヴェレ神話」に代表されるこの物語群は、殺された女神の遺体から食用植物が生まれるという共通の構造を持つ。日本でも『日本書紀』は養蚕の始まりを、『古事記』は五穀の誕生を、いずれも地母神の身体からもたらされたと記載されており、諏訪はこの記憶を作品に練り込む。

会場風景

画面に描かれるのはモチーフそのものでありながら、同時にその背後で横たわる女神の存在を暗示している。人間の姿は直接描かれることなく、原初の死と再生の物語が静かに展開されていく。

人間でも静物でもない存在へ

コロナ禍以降、人間を描きたいという気持ちを失ってしまった諏訪。最終章で展示されている最新作《汀にて》(2025)は、「肖像画」でも「静物画」でもなかった。

諏訪敦 汀にて(Bricolage) 2025

本展に合わせ、構想から1年をかけて自宅アトリエで制作された本作のモチーフは、骨格標本に諏訪が自ら石膏と外壁用充填材で肉付けして作った等身大の人型である。

会場風景

宮本は制作過程について「もう一回人を描くには、誰かに依頼されるのではなく、諏訪さんが自分でモチーフを作るところから始めました。そして作りながらだんだん人間的なかたちになっていく過程を素描していきました」と説明する。

諏訪敦 汀にて Drawing 03 2025

大型絵画、人型、ドローイングの3つから成る本作の展示構成について諏訪は、鎌倉時代から江戸時代にかけて描かれた仏教画《九相図》の形式に倣ったと明かしている。しかし、《九相図》が肉体の不浄と無常を表したのに対して、《汀にて》は死から生への"逆回し"で描かれている。

諏訪敦 汀にて 2025

さらに本展では、小説家の藤野可織とのコラボレーションも実現。藤野は食物起源神話のシリーズと《汀にて》の制作過程を取材し、《さよなら》という短編小説を執筆した。「死んで静まった」ものを描く絵画が、小説で新たな物語を生み出していく。短編小説は2階の会場で入手できる。

会場風景

また、奥のコーナーでは、《汀にて》の制作過程を記録した短編ドキュメンタリーも上映されている。諏訪がアトリエで悩みながら制作する様子が記録されており、作品理解の一助となっている。

諏訪敦 Drown(Bricolage) 2025

静物画から出発し、予期せぬ方向へ向かった《汀にて》まで、諏訪敦の現在を包括的に紹介する本展は、現在進行形で制作に取り組む画家の苦闘そのものを見せる稀有な機会となっている。

灰咲光那(編集部)

灰咲光那(編集部)

はいさき・ありな 「Tokyo Art Beat」編集部。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。研究分野はアートベース・リサーチ、パフォーマティブ社会学、映像社会学。