「Lee Bul: From 1998 to Now」会場風景
韓国の現代アーティスト、イ・ブルの大規模個展「Lee Bul: From 1998 to Now」が、ソウルのリウム美術館(Leeum Museum of Art)で開催されている。会期は2026年1月4日まで。
1964年、韓国に生まれたイ・ブルは、軍事政権から民主化へと移行する韓国の激動の社会情勢を背景に、1980年代後半に実験的な作品でデビューした。以降、40年以上にわたって、パフォーマンス、彫刻、インスタレーション、平面作品など多様な作品を通して、身体と社会、人間とテクノロジー、自然と文明の変化する関係や、それらを形作る権力のメカニズムを広く探究してきた。日本では、2012年に森美術館で大規模個展が開催されている。
約150点の作品が展示される本展は、1990年代後半から現在までのイ・ブルの重要な展開を包括的に示す回顧展。リウム美術館と香港のM+の共催によるもので、2026年3月にM+へ巡回し、2027年秋にかけて各地をめぐる予定だ。
最初に鑑賞客を迎えるのは、巨大なバルーンの作品《Willing To Be Vulnerable - Metallized Balloon》。ガラス張りの美術館エントラスの脇、展示室へと向かう通路の上に浮かぶ銀色の飛行船は、20世紀初頭に近代性や進歩の象徴として人々を魅了したドイツの「ツェッペリン伯号」を思わせる。当時世界最大級の飛行船だったツェッペリン伯号に人々は夢中になったが、1937年、着陸途中に炎上して墜落し、多数の死者を出した。人類の進歩への憧れや欲望、それが生んだ惨事。その二面性や未来の不安定さを象徴する作品で展覧会は幕を開ける。
1階の展示室「ブラック・ボックス」に足を踏み入れると、鏡張りの空間が広がる。ひび割れたような鏡が床を覆い、無数のLED電球が光を灯すインスタレーション《Civitas Solis II》だ。天井から吊るされた作家の初期作品「Cyborg」「Anagram」シリーズや巨大な塔の立体作品の像が無限に反射し、荒廃した近未来都市のような光景を生み出している。
頭や手足のない身体をかたどった「Cyborg」やアナグラムのようにパーツが組み合わさったハイブリッドな有機体「Anagram」は、ポストヒューマン的な身体のあり方、不死や完全性を追い求める人類とテクノロジーの関係性を問いかける。これらの作品やカラオケポッドのインスタレーションなどは、1990年代後半に美術館の大規模展や国際的なビエンナーレで初めて発表され、世界に作家の名を知らしめた。
地下の「グランド・ギャラリー」へ降りると、展覧会の核となる大型インスタレーション「Mon grand récit」シリーズが展開される。タワーや道路、黒い水を湛えた白いタイルの浴槽などがひとつの都市景観を構成し、ユートピア的な夢想とその挫折の物語を寓話的に描き出す。スケールの大きな構造物はクリスタルや金属の光沢をまといながらも、明滅するネオンやどこか不完全なフォルムが物悲しさも感じさせる。
2005年から現在まで続くこのシリーズは、フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールによる「大きな物語(grand récit)の崩壊」に由来する。個々の作品は、ロシアの前衛芸術や構成主義、ブルーノ・タウトら表現主義の建築家、ユートピア文学、ロマン派の風景画、近現代韓国の歴史など、幅広い参照源をもとにしているという。一見シャンデリアのような《After Bruno Taut(Beware the sweetness of things)》は、クリスタルやビーズ、ガラスなどで作られた螺旋状の構造物で、ブルーノ・タウトが構想したユートピア「アルプス建築」に呼応する作品だ。
壁には作家の思考のプロセスを垣間見ることのできる多数のドローイングが天井高を活かして壁の上部まで展示されているほか、大小の模型も並ぶ。
インスタレーションのいくつかは観客が空間の中に入って体験する作品となり、2012年の作品を再構築した《Via Negativa》では、迷路のような鏡張りの空間に鑑賞者を誘う。鑑賞者は果てしなく反射する自分の姿に囲まれて出口を見失い、自身の空間認識が揺さぶられるような感覚を味わえる。またこうした立体作品に加え、〈Willing To Be Vulnerable〉〈Perdu〉といった近年の平面作品も紹介されている。
イ・ブルの過去から現在までの作品が一同に会す本展。SF的な空間のなかで、人類の夢と不安の両面が静かに浮かび上がっている。
「Lee Bul: From 1998 to Now」
会場:リウム美術館(ソウル特別市ヨンサン(龍山)区イテウォンロ55ギル60-16)
会期:9月4日~2026年1月4日
時間:10:00〜18:00(毎週月曜、1日1日、旧正月、秋夕の連休は休館)
公式サイト:https://www.leeumhoam.org/leeum