会場風景より、江口湖夏の《家庭内用発信木版印刷自動車兼パフォーマンス機》(2025) 撮影:野口羊 画像提供:マイナビアートスクエア
学生、ビジネスパーソン、企業、教育機関などとアーティストのつながりを後押しするアートのプラットフォーム、マイナビアートスクエアでは「空へと / In Motion with the Sky マイナビアートスクエアアワード2025 ファイナリスト展 特別ゲストアーティスト:中島 伽耶子」が、9月27日まで開催されている。
「マイナビアートスクエアアワード」は、同施設初の試みとして開始された学生対象のアワードであり、形式やジャンルにとらわれない作品や活動を対象としている。未来志向の独創性と表現力を評価基準とし、新しい芸術創造に取り組むアーティストの創作活動支援を目的とする。
大賞受賞者には30万円、マイナビ賞受賞者には10万円の活動支援金が授与される。また、最終審査参加者全員に最大20万円の制作補助金の支給と、専門家による相談セッションなどのメンタリングプログラムが提供される。
今回審査員を務めたのは、木村絵理子(キュレーター、弘前れんが倉庫美術館館長)、ドミニク・チェン(情報学研究者、早稲田大学文学学術院教授)、山本裕子(ANOMALYディレクター、日本現代美術商協会(CADAN)代表理事)の3名。書類審査、プレゼンテーション審査を経て、展覧会審査に進むファイナリスト4名が選出された。
8月28日に開幕したファイナリスト展では、A部門(大学生部門)とB部門(高校生以下部門)で選ばれた江口湖夏、島田清夏、朝田明沙、村上翔哉の作品を展示。キュレーターに慶野結香、特別ゲストアーティストに中島伽耶子を迎えて構成されている。
ここでは審査員の言葉とともに、それぞれの展示を紹介する。
大賞に輝いたのは江口湖夏(東京藝術大学大学院 美術研究科 先端芸術表現専攻 修士課程)。瞬発的な行為や制作から始まり、思考や対話を通してその背景にあるものを掘り起こしていくというプロセスを重視した表現活動を行うアーティストだ。
今回の作品は「自分が車になって木版を仕込んだ家具を轟音を立てて走り回りながら、子供部屋を"ボムだらけ"にしてしまいたい」という発想から始まったという。展示空間には、そうした暴走パフォーマンスの痕跡が生々しく残されている。
壊されたタンス、飛び散った黒いペンキ、壁際にはタンスが押し付けられた跡。江口は黒いペンキを塗ったタンスを壁に激しく押し付け、その痕跡を必死に残そうとする。しかし、記録を残そうとする過程でタンス本体は破壊されていくという矛盾も存在する。
「二次審査の段階で彼女の背景にあるストーリーと表現手法の組み合わせが不合理でありながら、力強い構造があるところに引き付けられました。実際にパフォーマンスを見て、心をつかまれてしまいました」(チェン)
制作過程で浮かび上がったのは、祖母の介護をひとりで担いながら、タイヤの外れたRX-7を手放せずにいた叔父の存在だった。実家の取り壊し時に発見された祖母の未着用の着物を前にした叔父の表情に、言葉にならない時間と感情を読み取った江口は、「子供部屋おじさん」と社会的に括られがちな存在の背後にある複雑さに着目したという。展示で使用されているタンスも、叔父の家にあったものを再現したものだ。
「二次審査で伺った話では、叔父さんは社会生活をあまり広く行っていない方だったそうです。だけど、お家の中には様々なものや家族の歴史が詰まっていた。このパフォーマンスは個人の経験や感情にとどまらず、様々な人の人生における責任や葛藤を思わせ、それを解放しながら、問いを投げかける作品だと思います」(山本)
「説明のつかなさが表現として面白いと思いました。言葉で説明できることなら言葉にすればいいですが、『これでなければならない』という説得力が、この作品のもっとも大きな魅力だと思います」(木村)
マイナビ賞に選ばれたのは、現役高校生である村上翔哉(三田国際科学学園高等学校)。村上は、自身の吃音体験を詩的な表現へと昇華させたインスタレーションを制作。これまで誰とも共有できずに心の内側に閉じ込められていた「どもり」を、歌声として他者に開いていく試みである。
「私のような吃音の当事者が見ると、すごく分かると思います。ここでは連発という現象が表現されていますが、言葉が出ない難発というものもある。連発をしてしまう人の環世界の表現として、とても興味深いです」(チェン)
会場に設置された2台のヘッドホンからは、村上の日常会話におけるどもりの音声がランダムに流れ出す。プロジェクターに映し出された画面には、聞こえた言葉が不安定な揺らぎのなかで文字として書き出されていく。同時に村上自身が即興のメロディとリズムを加え、その言葉を歌声として会場全体に響かせる。鑑賞者は、その歌声に自由なリズムで参加することができる仕組みだ。
「映像の余白が詩的でした。吃音の特徴が余白や重なりとして現れ、目の前のビニールが揺れる不安定な表現も含めて、視覚化するだけでなく『不完全の美』に改めて気づかせてくれる作品だと思います」(山本)
「伝えたいことが明確に見えていて、回り道をせずにストレートに表現しているのが素晴らしいと思います」(木村)
同じくB部門からファイナリストに選ばれた朝田明沙(横須賀学院高等学校)は、社会によって構築された枠組みが皮膚のように自己に張り付き、成長を阻害しているという感覚から出発した作品を制作。3つの要素から構成されるインスタレーションは、見えない圧力からの脱却と抗う意思を表現のテーマに据えている。
スクリーンには脱皮を試みる本人の映像が映し出され、積み重ねられた瓦礫には脱いだ皮が残されている。この瓦礫は朝田が制作期間内に組み立て、破壊した家の残骸である。瓦礫の下では、その制作過程の記録映像も鑑賞できる。
「彼女の素晴らしいところは、ファイナリストに選ばれてから発表まで3週間しかないなかで、アップデートし新しい部分を完成させたことです。映像も含めて3週間でこれだけのことができる作家は、なかなかいないと思います」(山本)
既存の定義を破壊した先に何が残るのか。本作は抗う意思を持った身体の先にいかなる自己が立ち上がるのかという問いを、鑑賞者に開かれた余白として提示している。社会的な圧力と個人の成長の関係を生物学的なメタファーで表現し、変化の瞬間を丁寧に観察した作品である。
今年1月に東京・池袋で開催された展覧会「150年」で展示経験を持つ島田清夏(東京藝術大学大学院 美術研究科 美術専攻 博士後期課程)もファイナリストに選出。80歳を過ぎてから孫の使い終えた教科書で独学していた自身の祖母を題材とした本作は、教育機会に恵まれなかった女性たちの記憶を可視化する試みでもある。
まず注目すべきは、展示室前のスクリーンに映し出される映像だ。そこには祖母が文字を書けるようになった後に綴り始めた日記のシーンが映される。楽しかった誕生日の記録には、喜びの言葉と文字を書く喜びが見事に重なり合い、審査員の胸に迫るものであったという。
「現代では当たり前の権利が制限されていた女性の人生と、歳を取ってから彼女が感じた生の喜びが映像に詰まっているこの映像は胸に迫るものがあります」(木村)
花火師としても活動する島田は、制作過程で独特のアプローチを見せた。祖母の遺品から発見された「花」という1文字をもとに木材を裁断し、それを花火火薬で再構成。点火によって一瞬だけその文字が光として蘇る行為と、その刹那を記録する映像を制作している。個人的な体験から社会的な問題へと視野を広げ、失われがちな記憶を光の瞬間として永続化させる試みとして審査においても高く評価された。
今回はゲストアーティストとして中島伽耶子が参加。境界や壁をモチーフに、コミュニケーションの非対称性をテーマとした作品を制作するアーティストだ。
壁は空間を仕切る存在であると同時に、私たちを守り、つなぐ役割も担う。中島はこの両義性に注目し、様々な場所で壁の設営を行ってきた。今回はフェミニズム文学の古典、シャーロット・パーキンス・ギルマンの『黄色い壁紙』(1892)を参照し、閉じ込められた存在の解放をテーマとしている。
《黄色い壁》(2025)では田中敦子の《電気服》や電気配線デッサンから着想を得た有機的な模様の壁紙を施し、その壁面にインターホンを設置。来場者が「ベル」を押すと、その行為は「どこか」へとつながっていく。他者とのコミュニケーションのあり方を問い直し、壁の象徴性を開き直す試みとして展開されている。
パーソナルなトピックから出発し、自分が抱える問題にストレートに向き合う作品が並んだ今回のファイナリスト展。他者との関係性を模索する姿勢に、作品の強さが表れている。
審査を終えた3人の審査員は、アワードがアートの根源的価値を体験できる場となることへの期待を語った。
「このアワードを10代の子たちに見てほしいです。同世代の表現を知ることで『自分が思っていることを外に向かって表現していいんだ』と思えるようになる。同じような悩みを抱えている人の存在を知ることで救われる。これこそがアートの根源的な価値だと思います」(木村)
いっぽう山本は学生のみならず独学アーティストにも門戸を開く意義を指摘する。「独学で活動するアーティストはたくさんいます。師弟などでも学んでいれば、異なる背景を持つ人たちにも門戸を開くことで、より面白いアワードになるのではないでしょうか」
今回の審査で特徴的だったのは、メディアアートとコンテンポラリーアート系の表現者が同じ土俵で評価されたことだ。チェンは、この多様性がもたらした価値を次のように振り返る。
「普段あまり交わらない表現同士の新鮮な対話が生まれました。こうした場は現在のアートアワードでは貴重な存在かもしれません」(チェン)
公開プレゼンテーションやファイナリスト同士の交流、メンター制度など、プロセス全体を重視する本アワード。若い世代が自身の体験から出発し、他者との共感や社会との接点を見つけていく表現の可能性をマイナビらしく支援する取り組みとして、今後の展開が注目される。
灰咲光那(編集部)
灰咲光那(編集部)