会場風景より
ポルトガルを代表する映画監督ペドロ・コスタの展覧会「総合開館30周年記念 ペドロ・コスタ インナーヴィジョンズ」が、8月28日に東京・恵比寿の東京都写真美術館で開幕した。会期は12月7日まで。
1958年リスボン生まれの映画監督、ペドロ・コスタ。1989年の長編デビュー作『血』以来、移民や労働者などが周縁化される社会をフィクションとドキュメンタリーの境界を揺るがす独自の映像表現によってとらえ、国際的評価を確立してきた。『ヴァンダの部屋』(2000)、『ホース・マネー』(2014)、『ヴィタリナ』(2019)などはカンヌやロカルノなどの映画祭をはじめ、世界各地で上映されているほか、2018年にポルトのセラルヴェス美術館で開催された「Companhia」(コンパニア、ポルトガル語で「寄り添う」仲間」の意)や、2022年から2023年にかけてスペイン各地を巡回した「The Song of Pedro Costa」展など、近年は展覧会という形式でも作品を発表している。
日本でもこれまで複数の作品が劇場公開され、せんだいメディアテークでの展覧会や原美術館でのルイ・シャフェスとの2人展など、展覧会でも作品が紹介されてきた。本展は、そんなコスタによる日本での最大規模の個展であり、東京では初となる美術館個展だ。ここでは、内覧会に登壇したコスタの言葉とともに展示の見どころを紹介する。
展覧会タイトルは、1974年、ポルトガルの独裁政権崩壊と植民地解放へとつながるカーネーション革命のさなか、当時15歳のコスタが出会ったというスティーヴィー・ワンダーのアルバム『インナーヴィジョンズ』(1973)に由来する。コスタは、階級や人種にまつわる喪失と希望を描いたこの作品に多感な時期に出会い、大きな影響を受けた。
展示は映像や写真など計9作品から構成される。『溶岩の家』(1994)、『ヴァンダの部屋』、『コロッサル・ユース』(2006)、『ホース・マネー』(2014)といった作品からの引用など、映像や写真、音を再構成し、それらが空間内で交差する。「自分は“アーティスト”というより“フィルメイカー”。“アーティスト”という言葉は好きではない」と語ったコスタは、「これからご覧になるものは、いわゆるインスタレーションとは少し違います。アート作品というよりは断片、瞬間の集まりなんです」と説明する。
最初の展示作品である、長編第2作『溶岩の家』の制作準備の際のアイデアやイメージをまとめた《溶岩の家 スクラップブック》(2010)を抜けて展示室に足を踏み入れると、真っ暗の闇が広がる。
「私が好きなのは、美術館を“白”から“黒”に変えたこと。クリアな空間を、迷路のような、道に迷ってしまうような場所にする。そういう空間づくりです」とコスタ。会場内は非常に暗く、足元や展示壁も見えないほど。闇のなかで作品のイメージだけが浮かび上がる。
最初の通路の壁にずらりと並ぶのは、アメリカのフォトジャーナリズムの先駆者、ジェイコブ・リースの写真作品。ポルトガルで暮らすアフリカ系移民の歴史を描いた『ホース・マネー』の冒頭に、リースが19世紀末から20世紀初頭にかけてニューヨークの貧困街を撮影した写真群が使用されており、今回は、コスタが東京都写真美術館のコレクションから選んだリースの写真作品を展示している。
そしてリースの作品と対峙するように、『ホース・マネー』の音楽シーンから構成されたコスタの新作ポートレートシリーズ〈今こそ名高き人々を讃えよう〉の作品群が並ぶ。
「リースの作品が入口となり、私が取り組んできたこと──つまり、誰にも知られず、顧みられないような、ごく小さな人々の生──へと観客を導いてくれるでしょう。私は、映画は芸術的表現であると同時に、ひとつのリサーチの方法でもありうると考えています。モダンアートの多くは、現実と向き合う力を失ってしまったように感じています。現実から逃げようとしているのではないか、と。私のすべての作品の基盤はその“現実との対峙”にあります」(コスタ)
『溶岩の家』に登場した5人の人物のポートレートシリーズ〈溶岩の人々〉は、和紙に印刷されていることで、一人ひとりの存在が独特の質感を持って浮かび上がる。本展ではこの作品のように、コスタがとらえた人々の「顔」が多く登場する。
《火の娘たち(2022)》(2022)は、旧ポルトガル領アフリカの島国カーボ・ヴェルデ共和国で1951年に起きた火山噴火を発想源として、アントン・チェーホフの戯曲「三人姉妹」に着想を得た作品。カーボ・ヴェルデは15世紀にポルトガルによって入植され、奴隷貿易の中継地として栄えたという歴史がある。3つのスクリーンにそれぞれ異なる女性たちが映し出され、火山のマグマが迫るなかで<生きなくては/働かなくては><私は疲れた><私たちは忘れられる>とこの土地に生きる苦難の歌が響く。
カーボ・ヴェルデを舞台に撮影された『溶岩の家』から引用した映像で構成される《火の娘たち》(2019)でも、同地に暮らす女性たちがの顔が複数のスクリーンに映し出される。
また《アルト・クテロ》(2012)では、『コロッサル・ユース』『ホース・マネー』などに出演する、カーボ・ヴェルデからリスボンへの移民労働者ヴェントーラが、移民の悲惨な生活を歌った労働歌の歌詞を言葉に詰まりながらつぶやき、その姿に火山の映像が重なる。
これらの作品はすべて関連しあっており、単体で存在するものではないとコスタは言う。《アルト・クテロ》でパジャマを着たヴェントーラが悪夢のなかで話す日々の生活の苦労と、《火の娘たち》の女性たちの置かれた状況、そして《火の娘たち(2022)》が歌う苦難や疲労、未来への言葉はすべてつながっている。
「何も単独では存在しません。もし何かしらの結びつきを見いだしてくれたなら、それがどんなものであっても嬉しいです。なぜなら、そこからあなたは考え始め、投影し始めるからです。会場を自分の足で歩きながら、自分なりに関連づけてみてほしいです」(コスタ)
「忍耐強く、作品を注意深くみて、自分で編集するように見てほしい」と繰り返し語ったコスタは、「私は古典的な時代に属している人間」とも話し、最後に「過去の人々には、たしかに違う生がありました。けれど今日、私たちは虐殺や戦争のなかに生きている。ひどい状況です。こんなふうに言ってがっかりさせたら申し訳ないと思いますが。でも、時々希望を感じることもあります。音楽の一片や犬、友人と過ごす時間といったものに。それもまたアートなのです。つまりそれは、自分がどう生きるかの選択であり、自分が自分の国や世界の市民としてどうあるかということでもある。そこに参加すること、批判すること、可能なら行動することです」と締め括った。
映画館での鑑賞とは異なる体験として、コスタの作品世界と映像美学に身を委ねることができる本展。暗い迷路のような空間を彷徨いながら、作品同士の、そして自分とのつながりを発見する贅沢な時間を味わいたい。