会場風景より、手前は椿昇《エステティック・ポリューション》(1990)
1989年という転換点から2010年までの約20年間に日本で生まれた美術表現を包括的にとらえる「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989–2010」展が、国立新美術館で開幕した。アジアを代表する美術館である香港M+との共同キュレーションによる本展は、約20年間の日本発のアート表現を5つの章で紹介する。会期は9月3日から12月8日まで。
注目すべきは展覧会タイトルが「日本現代美術」ではなく「日本で生まれた美術表現」としている点だ。これは日本人アーティストだけでなく、日本でインスピレーションを受けながら制作した海外作家も含む包括的視点を示している。異なる文化圏の美術館による共同企画として、国籍を超えた複数の視点で日本というプラットフォームから生まれた多様な表現をとらえようとする意図が見て取れる。
1980年代、バブル景気に向かう日本は国際的存在感を急速に高め、文化・芸術分野でも大きな変化を迎えていた。非西欧地域の美術への世界的関心の高まりとともに、日本の前衛美術を欧州で紹介する展覧会が相次いで開催され、国際的な認知が広がった。同時に日本人アーティストのドクメンタやヴェネツィア・ビエンナーレ「アペルト」部門などへの参加も活発化。経済成長と政治的安定を実現した日本はほかのアジア地域と比較して魅力的な場所となり、80年代から多くの海外アーティストが来日するようになった。
「プロローグ」では、同館の充実したアーカイヴ資料を活用し、ヨーゼフ・ボイス、ナム・ジュン・パイク、ダン・グラハムら国際的アーティストの日本での活動記録を通して、国際化のプロセスを振り返る。
1989年を境に登場した革新的エネルギーと新たな批評性を持つ表現を紹介する「イントロダクション」では、アーティストがリアルな日常や社会状況を作品に取り込む試みに注目する。
展示空間にはレゴ、ランドセルなど、それまで美術に使われることのなかった日常的素材や大量生産品を積極的に採用し、ポピュラーカルチャーを引用することで同時代性を強く反映する作品群が立ち並ぶ。椿昇、森村泰昌、村上隆、中原浩大、柳幸典、大竹伸朗といった日本を代表するアーティストが一堂に会し、この時代の思考と実践を同じ空間で体験できる。
戦後80年を迎えた今年、戦争を直接体験していない戦後生まれのアーティストが過去の記憶とどう向き合ったかを問うのは「レンズ1:過去という亡霊」だ。ポストコロニアリズム、移民、多様性、戦後のトラウマといった課題を咀嚼し、アメリカ同時多発テロ事件など同時期の出来事も引き金として、政治的テーマに真摯に向き合う姿勢を見て取れる。
奈良美智の作品に表れるパンク・スピリットから、ヤノベケンジ、米田知子、下道基行、高嶺格、山城知佳子、会田誠、小泉明郎などの日本人作家、さらにサイモン・スターリングの広島と冷戦時代をテーマとした作品まで、多様なアプローチで歴史の記憶を扱う表現が集結している。
グローバル化が本格化し、人・もの・情報の移動が活発化するいっぽうで、民族・国家アイデンティティを主張する動きも強まった1990〜2000年代。「レンズ2:自己と他者」に紹介されるアーティストは冷戦体制崩壊後のアイデンティティ問題、つまりグローバル社会における自己と他者の関係に向き合った。彼らの表現はプライベートとパブリックの領域を行き来し、そこから批評性を獲得している。
西山美なコ、石内都、長島有里枝、イ・ブルなど女性作家の力強い表現が目を引くが、海外からの作家による探究も印象深い。ジョーン・ジョナスの日本の伝統演劇にインスピレーションを得た《2匹の月のうさぎ》(2010)、マシュー・バーニーの捕鯨文化をテーマとした《拘束のドローイング9:ミラー・ポジション》(2005)など、日本というコンテクストで花開いた多彩な表現も展示されている。
1990年代以降にアジアで花開いたリレーショナル・アートの潮流を紹介する最終章「レンズ3:コミュニティという未来」では、市民やコミュニティ、町内会といった人々と協働する新しい表現形態に光を当てる。そこにはDIY精神が根底にあり、美術館がアーティストに機会を与えるのではなく、そうした機会がないゆえにアーティスト自身がコミュニティとともに新しい場を創出する逞しいプラットフォームが生まれていた。
川俣正の《トロント・プロジェクト》(1989)に始まり、曽根裕《19番目の彼女の足》(2001)、小沢剛の超小型移動式ギャラリー《なすび画廊》など、アナログな手法でコミュニティを培った実践の数々が紹介されている。
タイトルの「時代のプリズム」が示すように、本展は1989年から2010年という約20年間を様々な角度から照射し、日本発の美術表現の多様性を浮かび上がらせる。90年代の雑踏を思わせる多様な音と映像が交錯する展示空間で、この豊かな時代を体感したい。
灰咲光那(編集部)
灰咲光那(編集部)