左から、西広太志、松下徹(ともにSIDE CORE)
グラフィティやスケートボードなどストリートの文化に立脚し、縦横無尽な活動を続けてきたSIDE CORE。路上から都市を注意深く観察し、社会問題を可視化させ、日常の風景を異化する作品やプロジェクトの数々は、「中心から離れた場所のコア」という意味を持つコレクティヴネームをまさに体現している。
金沢21世紀美術館で開幕した大規模個展「Living road, Living space / 生きている道、生きるための場所」は、SIDE COREの基軸であるストリートカルチャーのルーツへの向き合い方を再定義する試みでもある。それは災害や戦争などの危機を前にアートは何ができるのかという問いに対するひとつの回答としての現在地でもある。ここでは開幕直前に行ったインタビューをお届けする。SIDE COREのアトリエを訪れ、松下徹と西広太志に話を聞いた。
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──今回の個展はどのような経緯で始まったのですか。
松下徹(以下、松下) 美術館側から提案をいただきました。でもその前段があって、当初は最終的にこういう展示になるとは思っていなかったですね。
最初のきっかけは、2024年1月の能登半島地震だったと思います。地震が発生したとき、能登や金沢にいる人たちが心配になって連絡していました。すぐにボランティアに行こうかと考えたりもしましたが、当時は石川県の知事が「能登への不要不急の移動は控えてください」と繰り返し訴えていた時期でした。主要道路である「のと里山海道」に崖崩れや地滑りで寸断した箇所が多く、緊急車両と住民の車が優先だったので、とても現地に入れる状況ではなかった。
その頃に、今回の展覧会の担当学芸員である髙木(遊、金沢21世紀美術館)くんに電話したら「こちらは大丈夫です。でもこれをきっかけに何かしたいと思っているから改めて相談させてください」と言われたんですよ。当時、金沢21世紀美術館は天井のガラスが落ちたりして閉館になっていたんですよね。その後、髙木くんから連絡がきて「能登半島地震を考える自主企画の展覧会(「Everything is a Museum」)を立ち上げるので参加してほしい。でもまず一緒に能登に行きませんか?」と声をかけてもらいました。

西広太志(以下、西広) 僕たちは2023年に「奥能登国際芸術祭」に参加したり、その前から能登や金沢を訪れていたから、震災が起きてからもずっと気になっていました。学芸員である髙木くんは、自分が所属する金沢21世紀美術館が被災して、当事者としてパブリックなものの危機を感じていたと話していました。
松下 振り返るとSIDE COREは、東日本大震災がきっかけでスタートした部分が大きかったんです。社会基盤が崩れていくなかで、いかにインディペンデントに活動していくかを考えたときに、ストリートアートの手法や姿勢は有効だと考えました。厳密には能登半島地震と東日本大震災を比べることはできないけれど、危機のときこそすぐ動くべきだと思っています。
──震災後、実際に能登半島を訪れていかがでしたか。
松下 まさに"百聞は一見に如かず"でした。特に印象的だったのが、輪島市の鹿磯漁港です。震災前は海だった場所に、水深5. 5メートル、海岸線200メートルの海底がせり上がって陸地が誕生していた。もともとは海中にいた貝や海藻などの海産物が死んで真っ白になっていて、まるで海底の環境そのものが丸ごと化石になってしまったような光景が広がっていました。能登半島地震による地質変化で、新しく陸地が生まれていたんです。多くの民家が被災した町並みからも震災のインパクトを感じましたが、それとはまた違った衝撃を受けました。あんな景色はこれまで見たことがありません。
西広 それから、能登半島の日本海側の地域にある、珠洲と輪島をつなぐ国道249号線が衝撃的でした。もともと断崖絶壁にあった道なのですが、震災時の崖崩れを受けて土砂でほぼ埋まってしまい、道路もトンネルも寸断されていたんです。でも救急や復興のための緊急車両や自衛隊を通らせるために道を開いてつながないといけないから、隆起した地面の上に新しく道を作っているんですよ。新しい道路の下にはトンネルが埋まっていたり、もともと海だった場所も続いていたりすると知って、なんとも言えない感覚がありました。
松下 まさに「道は死んでいくけど、同時に道は新しく生まれてもいる」という事態を目の当たりにしたよね。これは記録しないといけないと思って、隆起した陸地を撮影したり、鳥笛を吹いて鳥を呼んだり餌付けをしたりするパフォーマンスの記録映像を制作しました。それが、展覧会のヴィジュアルでも使っている《new land》です。
