東京国立博物館で9月9日~11月30日に開催中の「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」は、彫刻史上に名高い仏師、運慶による傑作国宝仏7躯のみで構成されたファン必見の特別展。だが、見どころはそれだけではない。平家による南都焼き討ち(1180)で灰燼に帰した興福寺の一隅に、老境に達してなお高みを目指す運慶が造り上げた「祈りの空間」を再現──。いったい、どんな「祈り」が込められているのか。内覧会の模様からレポートする。
まず、北円堂がどんな場所かを確認しよう。興福寺の西北隅にひっそりと佇む八角円堂で、もともとは藤原不比等追善のため奈良時代(721)に建立された。南都焼き討ちから30年を経て鎌倉時代(1210)に再建されたとき、あえて古代の特徴を残す「和様」建築でよみがえった。興福寺では三重塔(国宝)とともに残る最古の建築であり、日本に現存する八角円堂の中でとりわけ優美と称えられる。もちろん国宝だ。
再建された北円堂の諸仏を一門総出で手掛けたのが、仏師として最高位にあった運慶だ。東大寺南大門の仁王像などを造立し、個人としてもチームとしても円熟の時。キャリアの集大成として挑んだ本尊《弥勒如来坐像》(鎌倉時代・1212頃)は今回、1年におよぶ修理を経て、約60年ぶりとなる寺外公開を果たした。まずはこの本尊から拝んでみよう。
締まったウエスト、優雅に曲げた手指、肌に張り付く内衣。本展を担当した同館の学芸研究部保存科学課保存修復室長の児島大輔(こじま・だいすけ)さんや図録によると、これらは奈良時代の如来坐像に共通する特徴で、運慶が古代を強く意識したことをうかがわせる。いっぽう、たっぷりした奥行、やや猫背の姿勢などに鎌倉彫刻らしさも見られ、古典と新様式が巧みに織り交ざった運慶晩年の到達点とされる傑作だ。
また、本展では見ることができないが、本像内部にはミニ仏像や願文、仏の心を表す水晶珠なども入っている。その納入方法も極めて入念なもので、細部にかける運慶のこだわりを示している。
古代インドで尊い存在に対してしたように、右肩を本尊に向けて右回りに進んでいくと、あの深遠な表情が近づいてくる。《世親菩薩立像》と《無著菩薩立像》(いずれも鎌倉時代・1212頃)。法相宗の思想を大成した古代インドの兄弟僧の僧形は、深い精神性を宿すリアリズムの極致である。
世親の目がきらりと光った。まるで涙のよう。玉眼の光は見る角度や照明によって変わる。その瞳に何を読み取るかは、鑑賞者の心次第だろう。
なお、無著・世親像の後ろから、光背を取り外した弥勒像の貴重な後ろ姿もお見逃しなく!
会場中央の須弥壇を一回りしたら、いよいよ、その四方を守る《四天王立像(広目天・増長天・持国天・多聞天)》(いずれも鎌倉時代、13世紀)に向き合おう。普段は興福寺中金堂に安置されるが、近年の調査で、運慶らが北円堂に造立し、その後行方知れずになった4躯だと推定されている。7躯がもし再び相まみえたら──。鎌倉再建時の北円堂内部を再現し、夢想を現実にしようというのが、本展最大の挑戦だ。
ダイナミックなポーズや瞳を盛り上げた彫眼などに古代以来の表現が見られ、古典と新しさを織り交ぜた運慶の特徴がにじみ出る。いっぽう、激しい「動」と「怒り」の表情は、「静」に徹する弥勒像や無著・世親像とは大きく異なり、この違いを同じ造仏における「対比」ととらえられるかどうかが、再現にあたっての重要な焦点だった。4躯の配置も謎のままだった。
CGなどで検討を重ね、弥勒像から放射状に4躯が広がる本展での配置が採用された。実際に《四天王立像(持国天)》を弥勒像の斜め前に安置すると、「動」と「静」が絶妙に響き合い、「これでいいんだ」(児島)と体感したという。4躯を運慶作とする説も、本展の配置も、現状ではあくまで推測の域を出ない。児島さんは「感覚的に見て、(7躯の一体感を)体感していただければ」と促す。
読者はどう感じるだろう。会場で確かめてほしい。
最後に本展が掲げる「祈り」の意味を考えてみたい。鎌倉再建時の北円堂とその諸仏には、創建当初の目的である不比等追善に加え、焼き討ちからの復興、法相教学の聖地としての役割、末法思想における未来への渇望、納入仏に込められた願いといった「じつに多くの祈りが重層的にこめられていた」と、児島さんは語る。
そんな多様な祈りを、今日に至るまで見事に受け止め続けたのが、本展の仏像群にほかならない。そんな傑作群を生み出した運慶、守り伝えてきた興福寺、野心的な展覧会を果たしたトーハクに心服する。
いっぽうで、仏像群に込められた重層的な意味合いは、本展会場の説明だけでは伝わりにくいのではないか。
会場内の解説板(英語併記)はごくシンプルに抑えられ、大迫力の仏像群を理屈ぬきで堪能できる本展は、子連れや外国人にもお勧めしやすい。ただ、内容を掘り下げた図録や音声ガイドはもちろん有料で、一般1700円(大学生900円、高校生600円)のチケット料金も安いとは言えない。会場内の掲示にもう少し「祈り」や制作背景に迫る解説があればと、やや惜しく感じた。
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